ネコぶんこ


2012年02月20日 だが、遊びやすく、理屈抜きに面白いコンピュータゲームと、ルールが難解なボードゲームの違いが際立つにつれ、消費者はリチャードのスタイルへと流れはじめる。 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『高レベル・プレイへの挑戦(The Challenge of High Level Play)』

伝説と伝承

モンテ・クック

君たちが高レベルでのプレイについて話すと、どの版でも12レベルくらいでゲームが壊れるという人がいる(10レベル、8レベル、15レベルという意見もあるが――それらは同じことだ)。このD&Dの“真理”は君がどの版を話題にしているのかは関係ないくらいぬぐい難いものになっている。それは第4版の高レベル・プレイが第1版での高レベル・プレイとはまったく異なるにもかかわらず、高レベル・プレイはいかにして破綻するのかという一般化された言説になる。

さまざまな版での高レベル・プレイを好んでいた者として、私はこれまでゲームが壊れてしまうという考えに完全な同意を示したことは無い。しかし、私が考えるにそれらにもわずかな理はある、ただしそれは君がある切り口でそれをとらえた時だけだ。人々が感じているのは、特定のレベルでプレイが変わるということなのだ。私がそれを見るに、それらの破砕点はゲームの中に3つ――低レベル、中レベル、そして高レベル――ある。私が思うに第4版でこれらの変化を認識したのはいい仕事で、その変化はキャラクターがより強力になることや、彼らの挑むべき困難がより厳しいものになるだけではない。その代わり、ゲームはまったく変わってしまう。ゲームにおける3つの級には、キャラクターの力、影響力、そして当面の敵など、多くのそれに応じた変化が内包されている。

キャラクターがダンジョンを走り回って剣を振り回すゲームと彼らが場所から場所へ瞬間移動してアーティファクトを使って敵の大軍勢を消滅させるゲームは、決定的に異なるものだ。実際に、それらは異なるゲームでなければいけない。私はプレイヤーが異なるレベルのプレイを好むのは彼らが異なるものを望んでいるのだと考えている。(もちろん、人々がそれぞれのレベルにおけるゲームの破綻を自己解決して高レベル・プレイのスタイルを使わないとしても、それは素晴らしい!)

いくらかのプレイヤーは、「俺はどこへ行けば今日の食い扶持に必要な銀貨2枚を稼げるんだ」というような泥まみれな低レベルのゲームを好む。バシリスクと戦ってトログロダイトの侵略から町を守りたい人もいる。そして他にも彼らが生きるために次元界を創造し、惑星を蹂躙したいという人もいる。(そしてだいたいはこれらから2つか3つすべてを混ぜたものを求めている。)これらの異なる欲望と需要を認めることは、彼らの都合よく手直ししてゲームプレイすることをゲーム・デザイナが認めるということだ。

それはおそらく、特定の活動、状況、そして効果をレベル基準に並べるということだ。さまざまな瞬間移動はおそらく中から高レベルの効果だ。生命力吸収や能力値ダメージの効果は中レベル。次元界移動は高レベルでなくてはならない。というように。

私が今ここで説明していることの真意は、ゲームのレベルが物語やメカニクスの複雑さに影響を及ぼすということだ。(それは低レベルの物語に深みも意義も無いということではないが、それらはレベルの蓄積による現実っぽさや神々の存在を恐らく含まないものだろう。)レベルは予測を立てさせることができ、私はデザイナがそれらの予測に向き合うべきだと思う。

1は“完全に否定”、そして5は“完全に同意”となる1から5の評価で、これらの意見について君がD&Dをプレイする時に認識しているレベルについてどれくらい一致しているか教えて欲しい。

高レベルでのプレイ(PC)は難しい

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高レベルのゲーム運営(DM)は難しい

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高レベルのゲーム運営(DM)は特別な熟慮が必要だ

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高レベルのゲームを成功させる(PC)には特別な熟慮が必要だ

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高レベルでのプレイは低レベル時と雰囲気が違っていてはいけない

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高レベルでのプレイは低レベル時とゲームプレイが違っていてはいけない

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私は高レベルでのプレイが嫌いだ

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私は低レベルでのプレイが嫌いだ

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