ネコぶんこ


2013年04月26日 ロールプレイング・ゲームは娯楽をあたえる(エキサイティングで波乱に富んでおり、楽しいのはとうぜんだが)ものである。 [長年日記]

§ [DnD][Ludus] 『D&Dおよびその他のRPGについてのやや簡潔な歴史:1967~1979年(A semi-brief history of D&D and some other RPGs)』

Now substantially revised. Thanks to everyone for their input.

EN World RPG News & Reviews - A semi-brief history of D&D and some other RPGs: 1967-1979

投稿者:TerraDave

2010年4月14日、午後1時14分

現在、かなりの部分を修正できた。情報を提供してくれた皆さんに感謝を。

1967年

デビッド・ウェゼリーが『Braunstein』を開発してプレイした。このウォー・ゲームのシナリオはヨーロッパの町に攻撃を仕掛けるもので、それぞれのプレイヤーは部隊に命令を出す代わりに1体のキャラクターをプレイする。これをして最初のRPGと考えるむきもある。デイヴ・アーンソンも、このゲームのラテン・アメリカ版に参加していた。

1968年

ゲイリー・ガイギャックスとレイク・ジェニバのTactiacl Studies Associationが主催したウォーゲーム・コンベンション“Gen Con”第1回が、ウィスコンシン州レイク・ジェニバで開催された。

ガイギャックスはInternational Federation of Wargamingの中世風ミニチュア・ウォーゲーム部門、Castle and Crusaders Societyの会報、『Doomesday Book』を創刊した。アーンソンは初期の購読者だった。

1970年

デイヴ・アーンソンは最初のファンタジー・ロール・プレイング・キャンペーン、ブラックムーアを作成した。

1971年

ガイギャックスとペレンによる中世風ミニチュア・ルール『Chainmail』がGuidon Gamesから発売された。1972年の第2版では個人戦闘ルールやファンタジー用サプリメントが拡張された。ファンタジー用サプリメントではモンスター、魔法の使用、そして英雄やトールキン的なキャラクターを戦闘に加えることができた。『Doomsday Book』での予告を見たアーンソンは、彼のファンタジー・キャンペーンにこのルールを使うことにした。

アーンソンとガイギャックスはGen Conで会って“ファンタジー・ゲーム”の共同作業を始めた。

1972年

末娘シンディの助けを借り、ガイギャックスはファンタジー・ゲームに『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と命名した。彼は出版社を見つけられないでいた。

1973年

ガイギャックスはゲーム・デザインへ集中するために保険営業の仕事を辞め、家計をまかなうために地下室で靴の修理業を始めた。彼はファンタジー・ゲームの出版社を探し続けていた。

ガイギャックスとドン・ケイはTactical Studies Rulesを創業した。

1974年

ブライアン・ブルームがTactical Studies Rules.に入社した。

ガイギャックスの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』がTactical Studies Rulesから発売された。このゲーム、最初のRPGは『Chainmail』で使うことができるという名目だった。それには6つの能力値、クラス(ファイティング・マン、マジックユーザー、そしてクレリック)、種族(ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ハーフリング)、レベル、ヒット・ポイント、(一日毎に使えて忘れてしまう)呪文、AC(ダメージを回避するための防御値)、セーヴィング・スロー、属性、モンスター、財宝とダンジョンや荒野を舞台にした冒険が詰まっていた。トールキンとウォーゲーム――飛び道具としての呪文――に加え、このゲームとそのサプリメントはここ数十年のファンタジー小説、古代や中世の歴史、神話やはては映画やテレビからもさまざまな引用をした。ロバート・E・ハワード、ジャック・ヴァンス、ポール・アンダースン、フリッツ・ライバー、そしてエドガー・ライス・バロウズの作品から顕著な影響がある。

1975年

37歳だったドン・ケイが心臓発作で急死すると、彼の夫人はTactical Studies Rulesを解散した。ガイギャックスとブルームはTSR Hobbies社を設立した。

メガリーたちによる『Dungeon!』がTSRから発売された。メガリーはアーンソンのプレイヤーのひとりで、D&Dが出版される前からこのボードゲームの開発を始めていた。エルフ、ウィザード、ヒーロー、そしてスーパーヒーローがダンジョンを移動しながらモンスターと戦い、財宝を探す内容だ。これは長い間売られる製品になった。

ハニーとチャドウィックによる『En Garde!』がGames Designer Workshopから発売された。決闘と社会的地位の上昇やちょっとした非戦闘要素を処理するルールは第二のRPGとして解釈することもできる。だが、その栄誉にはさまざまなものが浴している、たとえば……。

セント・アンドレの『トンネルズ&トロールズ』がフライング・バッファローから発売された。他の第二のRPGと同様にD&Dと共通する多くの一般的要素もあったが、これは対抗判定と鎧でダメージを減少させる概念を導入した。特筆すべきはその明るい雰囲気と、ついにソロ・プレイと郵便でのプレイが考慮に入れられたことである。

バーカーによる『Empire of the Petal Throne』がTSRから発売された。D&Dを元にしているが、非常に独特なSFファンタジーの設定はRPGで初のものだった。

ガイギャックスとクーンツによるD&Dの『Supplement I: Greyhawk』がTSRから発売された。これは武器の種別ごとに異なるダメージ、パラディンとシーフのクラス、そして最初のパーセンテージ・ダイスを使った技能システムをRPGへ導入した。そしていくつかの代表的な呪文やモンスターも。

アーンソンによる『Supplement II: Blackmoor』がTSRから発売された。これにはモンクとアサシンのクラス、水中で行動するためのルール、最初の製品化されたアドベンチャー(『Temple of the Frog』)、そしてD&Dでしばしば目にすることになる細かな命中部位システムなどが導入された。

ブルームとガイギャックスによる『Boothill』がTSRから発売された。このゲームは銃での戦いに特化して成長のルールを実装した最初の非ファンタジーRPGだと考えられる。それはまたd10とパーセンテージによる技能を主に使った最初のひとつでもある。1979年の第2版にはカウンターと初期型のバトル・マットが付属していた。

D&Dなどのゲームをサポートする『The Strategic Review』がTSRから創刊された。ゴールドは『Alarums and Excursions』を創刊した。これは最初の同人誌(あるいは厳密にいうなら合同同人誌)であり最初のRPGだけを扱った定期刊行物だった。それは“西海岸的”感性とD&Dのルールとコンベンションから開放された自由さに加え、ハーグレイヴ、ペリン、シンバリストによる記事、そしてバックハウスが開発した新作ゲームを数年間世に送り出した。76年には『A&E』――リー・ゴールドによる出版が続いていた――に続き『Dungeoneer』などの半アマチュア出版が多く出てきた。

1976年

ススタールとロビンソンによる『バニーズ&バロウズ』がFantasy Games Unlimitedから発売された。プレイヤーは知性を持ったウサギをプレイする。『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』に影響を受け、B&Bにはいくつかの非戦闘活動用ルールが盛り込まれた。練りこまれた斬新さとプレイのしやすさがあったものの、多くのゲーマはそれを見下した。FGUは何作かのRPGを発売し続け、ついには一度に1ダース以上を発表するようになった。ほとんどは明白にB&Bより複雑で重い雰囲気のものだった。

メイヤーによるミニチュア『Fantasy Line』がラルパーサから発売された。ラルパーサは1979年に同人活動から事業へと規模を拡大し、大量のファンタジー・ミニチュアを世に送り出した。グレナディアとMinifigs(いずれもD&Dミニチュアの作成権利を短期間保有していた)もすぐに独自のファンタジー・ミニチュア製品を作り始めた。

ガイギャックスとブルームによるD&Dの『Supplement III: Eldritch Wizardry』がTSRから発売された。プレイヤー用クラスのドルイド、デーモン――デモゴルゴンやオルクスなどの――アーティファクト、そしてサイオニックが加わった。

クーンツとワードによるD&Dの『Supplement IV: Gods, Demigods, and Heroes』はTSRから出版された。これはゲームの中に神格や伝説の存在を加える最初の試みだった。ギリシア、北欧、エジプトなどの神話からの引用がなされたほか、マイクル・ムアコックのメルニボネ神話も加わった。

ガイギャックスとサザーランドによる『Swords and Spells』がTSRから発売された。この最後のD&D用“小さな茶色い本”は、あまり成功することのなかったミニチュアのルールで『Chainmail』以前に絶版となっていたが、このときTSRによって復刊された。

ワードの『Metamorphosis Alpha』がTSRから発売された。これは最初の(軽い雰囲気のものではあるが)サイエンス・フィクションRPGだった。プレイヤーは遥か昔に大災害によって文明圏から遠く切り離された世代間宇宙船を探検するミュータントや人類になる。

カスクが編集長の『Dragon』誌がTSRから創刊される。『Strategic Review』に代わって誕生した『Dragon』は大部分がD&Dについての内容で構成されていたが、他のゲームについての記事や小説、そしてゲームや本の評論も含まれていた。それは“公式”記事と定期連載陣を持つが、多くの記事は独立した投稿によって構成されていた。

ブレッドソーとオーエンの『City State of the Invincible Overlord』がJudges Guildから(自費)出版された。D&Dを利用していたが最初の出版時には非公式契約で、Judges Guildは後にTSRから正式な認可を得ると(当時の基準では)非常に詳細でよくサポートされた『Wilderlands of High Fantasy』をD&Dで最初に出版されたキャンペーン・セッティングとして発売した。

最初の独立型アドベンチャー群、Wee Warriorsが出版した『Palace of the Vampire Queen』はTSRが販売し、ガイギャックスの『Lost Caverns of Tsojcanth』初期版はWintercon VでMetro Detroit Gamesが販売した。

TSRはGen Conの運営を引き継いだ。

アーンソンはTSRを退社した。

ブライアンとケヴィン・ブルームがTSRの経営を主導するようになった。

1977年

ホームズの『Dungeons and Dragons Basic Set』がTSRから発売された。このボックス・セットにはルールブック1冊、(石油危機のためにチットで代用された79年版を除いて)ダイスと『Dungeon Geomorphs』に『Monster and Treasure Assortment』(これらは別売りもされていた)がまとめられていた。. 後の版ではそれに代わってアドベンチャー(最初はB1で後にB2、下記参照)が含まれるようになる。それは1~3レベル用で近日発売される『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』への導入を想定されていた。

ミラーによる『トラベラー』がGame Designers Workshopから発売された。この技能を使ったゲームには遠未来の宇宙船などのSF要素と時代遅れに見える武器やその他の装備が混じりあっていた。キャラクターの現在までの経歴をたどる――彼らが長生きできたならば――キャラクター作成システムは独創的だった。

シンバリストとバックハウスによる『Chivalry and Sorcery』はFantasy Games Unlimitedから発売された。これはリアリズムが欠如しているD&Dへの返歌として作成された多くのゲームの嚆矢で、C&Sはより複雑でより中世的なアーサー王物語を下敷きにしており、その一方でトールキンと親しみ深いファンタジーの要素も保持していた(後者のうちいくつかは著作権上の理由で増刷分から取り除く必要があったほどである)。

『ホワイトドワーフ』誌がゲームズワークショップから創刊された。ゲームズワークショップはジョン・ピーク、イアン・リビングストン、そして(英国の)スティーブ・ジャクソンによって創業された。GWは英国でのD&D出版権を得ていたため、『ホワイトドワーフ』には長年それと他のロール・プレイング・ゲームについての記事が掲載されていた。彼らは翌年最初の小売店を開くと、『クトゥルフ神話TRPG』、『ルーンクエスト』など他のゲームの権利も取得していった。

ハーグレイヴは『The Arduin Grimoire』を自費出版した。(全部で9冊の)シリーズのうち最初の3冊は明らかにD&Dのサプリメントだったため、TSRは直接的引用の削除を求める訴訟を起こした(そしてハーグレイヴは初刷から該当部分を塗りつぶして対応した)。それには新種族、クラス、呪文、モンスター、魔法のアイテム、ゲーム・システム、クロスジャンル要素、非常に大量のランダム表や、もちろんArduin自体のセッティングが含まれていた。

ガイギャックスによる『Monster Manual』がTSRから発売された。RPG書籍では初のハードカヴァであり『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』最初の本である。350種類におよぶモンスターの解説はオリジナルD&Dから続けて登場したものも(『Dragon』で紹介された)9つの属性システムのようにAD&Dの要素で補完した。これは12年間印刷され続けた。

1978年

ペリンとスタンフォードによる『ルーンクエスト』がケイオシアムから発売された。このゲームはパーセンテージによる技能とクリティカル・ヒットと命中部位を導入した(運用可能な)詳細な戦闘システムを中心に構築されたファンタジーRPGで、その独自セッティングであるグローランサが特徴的だった。

ガイギャックスによる『Players Handbook』がTSRから発売された。これはふたつ目のAD&Dのハードカヴァで、クラス、種族、呪文、鎧と武器などをオリジナル・ゲーム、サプリメント、そして『Dragon』や『Strategic Review』から移植した上で、新たな要素も加えられている。ただしいくつかの特異な要素(たとえば『Eldritch Wizardry』の人間を生贄に捧げることについての記述すべてなど)は除外されていた。これは当時の自由奔放な(オリジナル)D&Dから、より信頼性がありトーナメント・プレイに耐えうるものを生もうとしたとも表現できる。AD&DはガイギャックスとTSRが作成した“違う”ゲームと解釈することもできる。補遺にはバード専用のデュアル・クラス、サイオニクス、そして22の既知次元界についての簡単な解説が含まれていた。

TSRによる最初のアドベンチャーも発売された。これらはカーによる『B1 In Search of the Unknown』(ベーシック・セットにも付属していた)およびガイギャックスによる7作『G1 Steading of the Hill Giant Chief』、『G2 Glacial Rift of the Frost Giant Jarl』、『G3 Hall of the Fire Giant King』、『D1 Descent into the Depths of the Earth』、『D2 Shrine of the Kuo-Toa』、『D3 Vault of the Drow』、『S1 Tomb of Horrors』である。Dシリーズはいうまでもなく、邪悪な闇の肌に薄い色の髪を持ち不毛の地下深くで生きるエルフ、ドラウを導入した。

ワードとジャケによる『Gamma World』はTSRから発売された。核戦争による文明崩壊から100年経った25世紀を舞台に、プレイヤーは人類や不思議な力を持つさまざまなミュータントをプレイし、幸運が味方すれば超技術の武器をアーティファクト(財宝)として発見し、奇妙な変異種族(モンスター)と戦うものだ。『Gamma World』にクラスはないが、6つの能力値、種族、さまざまなマトリクスや表のたぐい(ランダム変異を含む)、および経験点システムはD&Dから流用されたものである。

TSRの収益は指数的に増大し、スタッフは倍増し、同社はレイク・ジェニバの中心街により大きな本社を構えた。

1979年

ガイギャックスによる『Dungeon Master's Guide』がTSRから発売された。この巨大なAD&D3冊目のハードカヴァにはゲームの運用を助けるルールやガイダンスにありあまるほどの表と支援用の記事が含まれていた。これには有名なAppendix Nの参考書籍リスト、遭遇する可能性がある特別な娼婦を決定する表すら含まれていた。

ガイギャックスによる『B2 Keep on the Borderlands』と『T1 Village of Hommlet』およびシックによる『S2 White Plume Mountain』がTSRから発売された。B2は『D&D Basic Set』に付属した。

ハーマンとディーによる『Villains and Vigilantes』がFantasy Games Unlimitedから発売された。これは――相対的に――広くプレイされた最初の超能力RPGで、キャラクターはプレイヤーと似た存在だがランダムで超能力を持っているのだ。ジェフ・ディーはまた、D&Dをはじめとしたほかのゲームにもイラストを提供していたアーティストでもあった。

ヒュームとシャレットによる『Bushido』はTyr Gamesから(自費)出版された。やや神話的な封建制の日本を舞台としたこれは、長い間“東洋”で冒険するための代表的なゲームだった。名誉と社会的な地位が成功をはかる重要な指標としてうまく機能していた。FGUは同じ分野のRPG『Land of the Rising Sun』を既に出版していた1981年にこれを再販した。

アーンソンとスナイダーによる『Adventures in Fantasy』がExcalibre gamesから発売された。デイヴ・アーンソンによるブラックムーア(スナイダーは長い間プレイヤーのひとりだった)に近いこれはもうひとつのD&Dになる可能性があり、この3分冊セットにはウォリアーとマジック・ユーザーという2つのクラス、そして呪文ポイントによる魔法システムがあった。6つの能力値はパーセンテージを基準とされていて、ゲームの戦闘はD&Dよりも複雑で――『Blackmoor』サプリメントにあった――命中部位も使われていた。それはまた“Bleakwood”というセッティングも展開していた。このゲームは著者の出自にもかかわらず、市場にはほとんど影響をおよぼさなかった。

TSRの従業員は100人を超え、再び新たな事務所の場所を探していた。

デイヴ・アーンソンはガイギャックスとTSRのAD&Dに対して複数の訴訟を行なったが、TSRはそれとD&Dは著しく異なるものであるし、アーンソンへの未払いの著作権使用料は存在しないと主張した。

うつの症状を抱えていた16歳の神童、ジェームス・ダラス・エグバート三世がミシガン州立大学の共同溝内で自殺をはかった。その試みは失敗して彼は失踪するが、以降の捜査は彼の失踪を誤ってD&Dと結びつけてしまった。論争、そして大規模な広報がそれに続いた。

この記事はTerraDaveによるフォーラムのスレッド『A semi-brief history of D&D and some other RPGs: 1967-1979』が初出である。オリジナルの投稿を読む

RPG前夜からADnD1stが出揃うまでのRPG史をDnDとTSR中心にまとめていたEN Worldの記事を翻訳しましたぁ。

それにしても、この時代から既にリアリティ論争や自由度と一貫したルールの間でのせめぎあいなどが引きも切らず続いているということは、人はメビウスの輪から逃れられないようでいて、それだけ新しい人が入ってくるジャンルだと考えることもできるわけだから気は持ちようですぅ。