ネコぶんこ


2019年06月06日 [長年日記] 編集

§ [DnD][5e] 『調査:帰ってきたアーティフィサー(SURVEY: THE ARTIFICER RETURNS)』

2019年05月28日

最新のUnearthed Arcanaの調査をお願いする。

前回のUnearthed Arcanaでは新しいキャラクター・クラス、魔法の発明名人アーティフィサーの改訂版を公開した。君がこれらのオプションを読んで考える時間を与えられている現在、私たちは以下の調査でそれらに対する君の反響を得る準備ができている。この調査は約3週間公開される。

これはプレイテスト用

Unearthed Arcanaの内容は、プレイテストと君の想像力をひらめかせるために発表される。これらのゲーム・メカニクスは草案の形式で、君のキャンペーンで使えはするがゲーム・デザインと編集の最終段階を通ったものではない。これらはゲームの公式な一部ではない。これらの理由から、このコラムの内容はD&Dアドヴェンチャラーズ・リーグのイベントでは非合法となる。


2019年06月07日 [長年日記] 編集

§ [DnD] 『ジョナサン・トゥイート:第3版への道(Jonathan Tweet: Prologue to Third Edition)』

ジョナサン・トゥイート

D&D第3版の物語を始めるなら、ピーター・アドキソンAD&D第2版(1989年)を読んでひどく失望したところから始めるべきだろう。ひとつには、新しいシステムには根底にある問題をいくつか残したままにしており、プレイヤは新たなシステムに慣れるための努力に見合った利益を得られないだろう、そう彼が感じたからだ。また他には、第2版は第1版の魅力と特徴のすべてをはぎ取っていたからだ。ハーフオーク、秘術の印形、モンク、あるいはアサシンはもういない。デーモンとデヴィルは迷信的な保護者からの怒りを避けるために名前を変えられた。新しいAD&Dは飼い馴らされ、普通になってしまった。

ピーターだけが第2版を嫌ってはいなかった。マーク・レインハーゲンと私がArs Magica“第2版”の発売を調整していたとき、我らが協力者のリサ・スティーヴンスは、そのときその言葉に多くの敵意が向けられていると私たちに警告してくれた。彼女はTSRのAD&D組織化プレイのプログラムであるRPGAに熱中しており、そのメンバは変化に不満を抱いていたからだ。私のことを話そう、私は1979年にはAD&Dを遊ぶのをやめ、ルーンクエストや自作のハックに変化していった。D&Dはださく見え、TSRが彼らの第2版でつまづいているのを見るのは面白かった。

Morrusからの註:これは元WotCのジョナサン・トゥイートによる月刊コラム最初の記事だ。君は彼をArs Magicaに始まり、D&D第3版の主任デザイナだった頃、そして13th Ageの協同デザインなど、多くのことを知っているだろう。やがて公開される記事には『私の人生とオープン・ゲーミング・ライセンス』や、『Ars Magicaの原風景』がある。君 また、ジム・ワードの最高のコラムも見逃すな!

AD&Dの牙を抜いた版を作ったTSRの目標は、同じ基本ルール・システムを使い、無数のセッティングを展開できるようにすることだった。第2版のために、TSRはJakandorのような単発はいうまでもなく、フォーゴトン・レルムMazticaAl-QadimSpelljammerプレーンスケープダーク・サンレイヴンロフトMasque of the Red Deathドラゴンランス、そしてグレイホークを発売した。これらすべての互換性がないAD&Dのラインは市場を割り、それぞれのラインの売り上げは先細っていった。なぜそれらがずれていったのだろう? TSRで、創造的な仕事をしていた人々はビジネスの計画をしていた人々と調和しておらず、会社のオーナはゲーマではなく、法的相続人だった。私たちの何人かは、外野からビジネスモデルに大きな問題があると語ることができた。1994年のウィザーズで、私たちがサイエンス・フィクションRPGの可能性について検討したとき、それはひとつのルールセットと多くの世界を持つAD&Dスタイルのビジネスモデルを特徴としていた。私はそのモデルが非常に悪かったので、何も言うことはなかった。TSRは――1997年にすべてがバラバラになってしまうまで――なんとかその宿痾を隠してきた。TSRがその請求を支払えなくなったとき、ウィザード・オブ・ザ・コーストは彼らを買収した。

D&Dを取得する2年前の1995年、ウィザーズはロールプレイング・ゲームのラインすべてを切り捨てた。私は消滅した“Alter Ego Games”のチームから異動し、カードゲームの仕事を始めた。『マジック:ザ・ギャザリング』『ネットランナー』の2つはどちらも私が好きなゲームで、私は両方の仕事に取りかかった。ロールプレイングのラインを切り捨てた輝ける面のひとつは、私が自分自身のロールプレイングのデザインを競合と考えられないように行なえることだと、私の上司が示してくれた。そこで私は1997年に『ジーナ』の影響を受けたギリシア神話風RPGに取り組んでいた。そのアイデアは神々のすべてが圧制者であり、プレイヤキャラクタのすべては彼らが戦う悪しき存在と血を引く死すべき者の子どもたち、叛逆の半神だった。プレイヤキャラクタとなる半神は善なる例外――充分に強力と感じられるだけ強く、一般人と対照的な精鋭であり、アレスやゼウスのような名のある神格と関係しており、日常生活の部外者でありながら英雄として歓迎される。しかし、私が遊べるような何かを完成させる前にウィザーズはD&Dを買収し、ギリシアの半神のゲームは棚上げとなった。

D&Dを取得した後、ピーター・アドキソンはAD&Dプレイヤ、特にRPGAのプレイヤと話すために旅をしていた。彼は聴衆が新版を望んでいるか訊ねたが、彼らすべては同じことを言った。彼らは第3版を望まない。そして彼は聴衆に第3版でどんな変化があれば好きになれそうかも訊ねた。ファンは第2版についてのすべての問題と改善されそうなルール・セットについて、詳細に語った。ファンは第3版を望んではいなかったが、彼らには何かが必要だった。

私たちはゲームが大規模なオーバーホールが必要だと知っていたが、プレイヤが第3版を望まないことも知っていた。私たちはこの新版でプレイヤを失う見通しについてはっきりと検討した。私たちは、たとえ最初に10%のプレイヤを失っても、よりよいゲーム・システムの利点が年々蓄積され、長期的には第3版を出した方がいいだろうと考えた。そして1999年、ライアン・ダンシーは第3版のための広告を始めた。彼は月ごとに私たちの熱意が高まっていくのを見ることができるいい仕事をしてくれた。第3版が発売されるまで、私たちはこの手で大ヒットを出したことを実感しており、短期的にプレイヤを失うすべての心配は忘れ去られた。

私が新しいD&Dシステムで行なった最初の仕事は、AD&Dのルールに由来する現代的なルールを使用し、『マジック:ザ・ギャザリング』の世界を使ったロールプレイング・ゲームという未発表プロジェクトのためのものだった。私たちはモンスタのステータスをカードに書き、ランダム遭遇をランダムな引きで選ぶように、カードを使う方法を実験していた。あるバージョンで、それは彼らが一度のゲームでダンジョンの深部に行くほどキャラクタからマナの結節点から切り離されていくボードゲームだった。他のバージョンで、それはD&D風のルール・セットを持つドミニア世界を舞台にした軽いRPGだった。私はキャラクタに3種類のセーヴィング・スローを与え、君の攻撃ロールへの目標値となるアーマー・クラスを作った。他のゲーム・デザイナは、これらと同じ常識的な考えをそれぞれ出してきた。これらのゲームでの私の研究は、後に第3版のデザイン・チームに加わるときのよい練習になった。

私がドミニアRPGで本当に好きだったルールは、彼らが最低限の財宝を入手するまで、キャラクタがダンジョンを探検してそれを埋め合わせねばならないものだった。財宝がマイルストーンに達する前に回復のために町まで撤退するなら、彼らは経験点にペナルティを受けた。何年も後のウィザーズで、私はランダム・ダンジョン探索のために似たマイルストーンのルールを実験したが、これも決して発表されなかった実験的デザインのひとつだ。13th Ageでは財宝よりむしろ戦闘に基づいた類似ルールがある。彼らが敵の最低限の戦力を倒す前にグループが全回復した場合、“キャンペーン・ロス”で苦しむことになる。

私とD&D新版との関係は、平行したプロジェクトに取り組むことに始まり、初心者バージョンを割り当てられ、デザイン・チームそれ自体に合流し、最終的に主任の座を割り当てられるまで徐々に深まっていった。

EN Worldでジョナサン・トゥイートさんのコラムが始まり、初回はもう20年前になる3e出版への舞台裏を語るものだったので、思わず訳したですぅ。

こういう今なら話せる自分史みたいなのは面白いので、日本現代卓上遊戯史紀聞のように、日本でもいろんな人が自分史を書いたり話したりしてほしいものですぅ。