ネコぶんこ


2015年02月16日 [長年日記]

§ [DnD][5e] 『ルールと裁定の影にある哲学(Philosophy Behind Rules and Rulings)』

Sage Advice

ジェレミー・クロフォード――2015年02月16日

Player's Handbook』のルールをどう解釈すべきか興味があるだろうか? D&Dチームが何を意図して『Dungeon Master's Guide』の章を書いたか確証がつかめない? 『Monster Manual』や他のD&Dの本のちょっと不明瞭なところにかすかな光がほしい? それならSage Adviceが君のためにある!

Sage Adviceの初お目見えは1979年にさかのぼり、権威あるゲーム誌Dragonの31号から始まった。そのときのSageはジーン・ウェルズだった。彼女はさまざまなD&Dに関連する話題に触れて答えた。ルール、ゲームのテーブル上での礼儀作法、製品の発売日、そしてD&Dの多元宇宙にまつわる伝説。質疑応答はときに不思議なことにぶつかることもあった。君たちは軍隊を作るためにオークが卵を産めるか興味があるだろうか? Sageはこう答えた。「オークは哺乳類なので卵を産みません」

今日に話を戻そう。この新たな形のSage Adviceはゲームのルールのうち、特にそれらをどう解釈すべきか明確でない場合に特化している。現在ちょうど1ヶ月以上の間、D&Dのファンに新版のコア書籍3冊が行き渡っている。私たち全員はそのペースでゲームを置いていって、そして質問は現われてきた。たいていは君のダンジョン・マスターか仲間のプレイヤーが問題を整理できるだろうが、まれに君のグループが挑戦を受けたとき、君は私たちの方を向ける。君がD&Dチームに考慮してほしいルールの質問を持っているようなら、sageadvice@wizards.comに質問を送ってほしい。私たちはできるだけ多くの質問に回答できるよう最善を尽くす。

君が新たなSageが誰か疑問に思っているようなら、私は新版のリード・デザイナふたりのうちのひとりで、それだけではなくPlayer's Handbookのリード・デザイナでありDungeon Master's Guideにも関わっている。私はゲームのための素材の作成を監督する編集長でもある。

今私たちには最初の質問たちがやってきている! ルールの背後にある哲学とD&Dの裁定について、私たちは全体的な主題を持っている。これらの月々のコラムに先んじて、これらの回答が基礎を築く。

DMが裁定することができるのになぜSage Adviceのようなコラムがあるの?

ルールはD&Dというゲームでは、単純な即興の物語構築というところよりはむしろ大きな部分だ。ゲームのルールはD&Dのキャンペーンが動くように助けたり、示唆を与えることさえあるだろう。ルールは道具で、私たちは道具にはできるだけ効果的であってほしい。それらの道具がどれだけいいものかしれなくても、それらに生命を与えるためにはプレイヤーの集団とそれらの使用を導くDMが必要になる。

DMは鍵だ。D&Dのキャンペーンでは多くの予想外のことが起こりうるし、ルールのセットがすべての偶発事故を合理的に解釈することが可能というわけではなかった。ルールがそうしようとするなら、ゲームはプレイできなくなるだろう。この別の可能性はキャラクターが可能なことにひどい制限をつけるルールであり、それはD&Dの開かれた無限とは逆のところにある。私たちが現在の版のために選んだものはDMが構築できるルールの基礎を作ることで、私たちはあるルールを定義したりそれらがそうでないとする役割をDMに持たせるようにした。

典型的なD&Dのセッションで、DMは多くのルール裁定を行なう――いくつかのどうにか注目されるものと、他のまったく明らかなものだ。プレイヤーもまたルールを解釈し、こうしてあらゆるグループはゲームを進めていく。しかし、ルールのデザインされた意図が明確でないときや、あるルールが別のものと矛盾しているようなときがある。

それらの状況を扱うところこそSage Adviceが介入するところだ。このコラムはあるDMの裁定を上書きするものではない。ルールがそうなったまさにそのとき、このコラムはプレイヤーだけではなく、DMにも彼らの味つけでゲームを調整できる道具を与えられるはずだ。このコラムは君が新たな光でゲームの一部分を見るのを助けてそれが君のD&D体験を少し変化させることを手伝う目論見があるのも明らかにしなければならないだろう。

私がルールの質問に答えるとき、私はしばしば3種類の異なる観点からそれらを処断する。

RAW。RAWが意味するものはつまり――“ルールが書かれているとおり(Rules as written)”。ルールのRAWな解釈について詳しく書くなら、デザイナの意図を考えずに文章の前後関係をよく読みこむことだ。文章はそれだけで存在することを強いられる。

私がルールについて考えるときはいつも、この展望から始める。私たちが出版したときに願ったことや出版するときに考えていたことではなく、君が見たものを私が見るのは重要だ。

RAI。君たちの幾人かは特にルールの影にある意図を知ることに興味がある。それこそRAI、“ルールの意味するところ(rules as intended)”の領分だ。この方法論のすべては彼らが何かを書いたときにデザイナがどういっていたかにある。完全な世界において、RAWとRAIが完全に無矛盾なことはないが、ときにページに書かれた言葉はデザイナの意図を伝えることに成功していない。あるいは、おそらく言葉はあるプレイヤーのグループには成功するが、もうひとつでは失敗する。

ルールのRAIな解釈について書くときの私はカーテンを引いて君に私たちがあるルールを書いたときにD&Dチームが何を意図していたかについて知らせることになる。

RAF。ページに書かれていることやデザイナが意図したことに関係なく、D&Dは楽しみであるはずで、そしてDMはゲームのテーブルそれぞれの団長だ。最高のDMは彼や彼女のプレイヤーにもっともおおくの喜びをもたらすため、融通無碍にその場でゲームを形作る。そのようなDMが目指すものはRAF“ルールは楽しみのために(rules as fun)”だ。

特定のキャンペーンを運営するときやあるプレイヤーのグループのためになる最高の幸せを見出そうとするとき、私たちはDMがルールから外れるだろうと考えている。時々、私のルールについての回答は君のグループへのRAFなルール解釈をすることについての助言を含んでいる。

私はRAW、RAI、そしてRAFの健全な混合を推奨している!

コア書籍へのエラッタは存在する?

はい、その意思はある。私たちはコア書籍のどこに訂正を必要としているか、ツイッター、フォーラム、メール、そして私たちのプレイ体験を研究していた。私たちはPlayer's Handbookの訂正を発表することから始め、そして次の本にかかっていく。

このエラッタでは少しでも劇的なルールの変更がなされるとは予想しないでほしい。私たちは素直な訂正に集中している。余計な言葉を切り、漏れていたものを加え、そして不明瞭なものをはっきりさせる。

第5版はそれをプレイしている何千ものグループに現在属している。デザイン・チームがゲームを再設計する方法としてエラッタを使うことは不適切だ。訂正よりも再設計すべき何かに出くわしたとき、私たちはそれをプレイテストしておそらくはそれを後日発表するものの中に入れるだろう。私たちは過度を曲がったところに再設計があるかどうか、君に知らせる!

次回は?

来月のSage Adviceで、私はさまざまなルールの質問へと飛び込む。いずれにせわ、君は私のツイッター(@JeremyECrawford)をフォローでき、そこで私はいくつかのルールの質問に短い回答を行ない、このコラムの将来の回のために材料を集める。