ネコぶんこ


2018年04月28日 [長年日記]

§ [Ludus] 『ゲーム会社を興せと彼はタロー・カードに告げられた:ケイオシアムの夜明け(TAROT CARDS TOLD HIM TO START A GAME COMPANY: THE DAWN OF CHAOSIUM)』

ベン・リグ、2018年04月18日

グレッグ・スタフォードが1975年に設立したゲーム会社、ケイオシアムは、ゲームの宇宙における大工匠のひとつだ。彼らは最初に解像度の高いファンタジー世界とそれを反映するゲームの構造を『ルーンクエスト』で導入し、ゲームを革命し、1981年のクトゥルフ神話TRPGで最初のホラーRPGを発表した。初期のケイオシアムが起こした衝撃は君が愛する現在のゲームに影響を及ぼしている。

ファンタジー、ゲーム、そしてケイオシアム

グレッグ・スタフォードは、彼の愛するふたつのもの、ゲームとファンタジーのために起業した。彼が1960年にアバロンヒルの『U-Boat』を手に取った時、スタフォードはゲームの虫に噛まれた。車で40分のウィスコンシン州レイク・ジェノバに、偶然にもゲイリー・ガイギャックスという名の保険引受業者が住んでいたことで、1966年、ベロイト大学に通っていた彼は運命に捕らえられた。(この保険引受業者は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の共同制作者である)。学生時代のスタフォードは、自ら創造した世界、グローランサを舞台にファンタジー小説を書き始めた。

グローランサは宗教、神話、そしてカルトに彩られた青銅器時代の世界だ。それは地球の宇宙観と一致するところがない、本当に異なる宇宙だ。(地球は明らかに太陽の周りを公転する太陽系に存在する。グローランサは巨大で平らな円盤で、太陽と星は毎日24時間周期で回転している。)

グローランサは鮮烈で異質で、そして人目を引いた。それはただ英雄が悪を倒すための探索行をする、中世の焼き直しではなかった。他の新しく、異なっていて、そして凄いものすべてと同じように、グローランサは拒絶、失敗、そして軽蔑と直面した。スタフォードは「すべてのS&S(Sword & Sorcery、剣と魔法のこと)は同じ二番煎じだ」という拒絶の手紙を読んだ。

スタフォードの文芸的努力はもっとも痛烈な拒絶を受けた。彼は今何をしている? 1970年代の初め、彼はタロー・カードの占いを求め、得た。彼はその経験を『Juegos y Dados』のインタビューでカードが語りかけたと話した「就職し、1年節約し、自分の会社を興し、7年目に振り返るがよい」と。

それから、スタフォードは病院の雑役係の仕事を得た。彼は入れられるだけのシフトを入れ、倹約と節約に励み、そして1年後に1万ドルを蓄えた。スタフォードはその金で、chaos(混沌)とcoliseum(競技場)の合成語である、ケイオシアムを起業した。(当時のスタフォードはオークランド・コロシアムの近くに住んでいた)

スタフォードはケイオシアム最初の仕事を、グローランサの世界を世に問うことだと決めた。1975年、彼はグローランサの設定を使ったウォーゲーム、『White Bear, Red Moon』を出版した。ゲームのルールはスタフォード家の地下にあったガリ版機で印刷された。

RPG史家のシャノン・アッペルクラインが「おそらくその多くは、鮮烈な設定と、ユニークで色とりどりのユニットに与えられたのだろう」と言うように、ゲームは成功した。それはまた、ゲームのルールブックがそれを生き生きと描いていた点で、プレイヤーにグローランサの世界への窓を与えていたとも指摘している。

二番煎じだと拒絶されたスタフォードのグローランサは、そうではなく、続くに値するものだとこの数十年で証明された。

そして1977年、ケイオシアムは起業し『White Bear, Red Moon』と最初のロールプレイング・ゲームは成功した。

『ルーンクエスト』は才を得た

1974年、ジェフ・プラットは注文していた大量のカタログをウィスコンシン州のLake Geneva Printing Companyで受け取っていた。プラットは、眼鏡をかけてひげをたくわえたもうひとりの男が、騎士が馬に乗った絵のある箱をたくさん受け取っているのに気がついた。プラットはそれが何なのか訊ね、それが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と呼ばれるボードゲームの一種だと教わった。彼の友人、グレッグ・スタフォードがボードゲームとファンタジーにはまっていると知っていたので、プラットはすぐにゲームをひとつ買うと言った。ご存じのようにゲイリー・ガイギャックスという名のその男は、プラットにゲームを売った。プラットはカリフォルニア西部に住むスタフォードにそれを送った。

これがいかにしてグレッグ・スタフォードが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の第1刷を持っているかの物語だ。

1978年、ケイオシアムはロールプレイングの世界にグローランサをもたらし、RPGを革命したロールプレイング・ゲーム、『ルーンクエスト』を発売する。このゲームは、スティーヴ・ペリン、レイ・ターニー、スティーヴ・ヘンダーソン、ウォーレン・ジェームズ、そしてスタフォード自身によってデザインされ、キャラクター・クラスをなくした革新性は1978年のゲーマーを興奮させた。このゲームはまたゲーム・システムの基礎に技能を採用した。木登りをしたいなら、君は〈登攀〉判定を行なう。衛兵をこっそりやりすごしたいなら、君は〈忍び歩き〉判定を行なう。そしてこれらの技能すべてはパーセントで表現された。君がパーセンテージ以下の出目を出したら、成功となる。『ルーンクエスト』は技能を使った最初のゲーム(それは1977年の『トラベラー』)ではないが、ゲームの経験システムと技能を融和させることにおいては一枚上手だった。

その年のミシガン州、アナーバーで開催されたOrigins Game Fairで、ゲーム・デザイナのジェネル・ジャッケイはこの『ルーンクエスト』第1版を見た。ジャッケイは『Hobby Games: The Best 100 thusly』で解説した。

「その夏初めてそれを見つけた私たちにとって、ドラゴン・パス(『ルーンクエスト』の舞台であるグローランサの一地域)とその住民は、前代未聞だった。あいまいな6角形の地形の中に潜んでいたり、便利な10フィート×10フィートの部屋に住んでいる無関係なモンスターのグループに代わり、私たち多くの文化と、人間がすべてではない種族による、本当にさまざまな民族が住む大地を発見したのだ。モンスターには彼らと共に生きる人間と同じくらい多くの存在理由があった」

多くのサプリメントが続いた。ケイオシアムにはロールプレイングの宇宙が広がっており、彼らはホラー・ロールプレイング・ゲームを出すことに決めた。

恐怖! 謎! 狂気! クトゥルフ!

1981年において、ホラーとミステリはロールプレイング界でもその深さを測れないジャンルで、クトゥルフ神話TRPGはその封印を両方破っていった。このゲームは天才サンディ・ピーターセンがデザインし、ロールプレイング・ゲームの記述とプレイに革命をもたらした。ピーターセンはケイオシアムの常勤スタッフになった。

このゲームは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のデザインをまったく逆にして、神はなく、悪魔もいず、しかし人類を一顧だにしない、冷淡で無情な異質な存在は実在する、冷酷で無慈悲なH・P・ラヴクラフトのクトゥルフ神話の宇宙を表現した。冒険ごとにキャラクターがより強く、よりよく、より裕福になっていく代わりに、クトゥルフ神話TRPGのプレイヤー・キャラクターは、より深く宇宙を支配する外宇宙の異形を知ってしまい、ますます混乱し、最終的には狂気に陥るか、角度が同時に正しくて間違っているぐちゃぐちゃの怪物から丸呑みにされるだろう。この狂気への旅路は正気度のステータスでゲーム化され、それは精神的なヒット・ポイントのように機能した。

このゲームは、プレイヤー・キャラクターの主要な活動として調査をする最初期のRPGでもあった。なぜ首なし死体がプロヴィデンスの図書館にある? アーカムの市長は何をやっている? なぜ私の父は私がマサチューセッツ州インスマウスにいる大家族の親戚を訪問してほしくない? フィクションのミステリものの読者のように、ゲーマーはそれら出会ったり関わった問題の解決をはかる。特にぞっとするような衝撃は、通常なら終わりに待ち受けている。

クトゥルフ神話TRPGはこれらの調査にプレイヤー・ハンドアウトを使うことでより本物らしくしていた。君のキャラクターが重要な新聞記事を見つけるなら、シナリオにはGMが切り離して彼女のプレイヤーに手渡すためのものがあるだろう。

その革命的なメカニクスと新鮮なセッテイングあればこそ、クトゥルフ神話TRPGはホラーRPG分野を次の10年間支配し続け、その第7版はそれに新たな命を吹き込んだ『ルーンクエスト』もいまだ健在で、より多くを知りたいなら『Glorantha Sourcebook』にあたることができる。ケイオシアムはちょうど『13th Age』用に変換した設定も公開した。彼らはまたゲームの神様ライナー・クニツィアがデザインした、数十年目にして最初のラヴクラフト的ボードゲームのキックスターターも始めた!