2012年09月21日 ワンちゃんたちは、さらっていくけど、あなたには自由意志で来させてあげる。 [長年日記]
§ [DnD][4e] 『小さなはじまり(Small Beginnings)』
今月は私たちが心待ちにしているミニチュアのボックス、『Dungeon Command: Tyranny of Goblins』が発売される。 grognardia.comのジェームズ・マリシェフスキーがお届けする今宵のD&D千夜一夜は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』でミニチュアがどう扱われてきたかについて詳しい話をしよう。
もし君が初めて1974年の上半期に出版された小さな茶色いルールブックの表紙を見たなら、おなじみの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の下に『紙とえんぴつとミニチュア・フィギュアで幻想的な中世風ウォーゲームのキャンペーンをプレイするためのルール』という副題があるのにすぐ気づくだろう。ゲームの題名がピンとくるのに比べ、その副題は長たらしくて混乱する。だが、それは私たちが今日“ロールプレイング・ゲーム”と呼んでいるものの歴史――その先史時代――を理解するための重要な試金石でもある
それらオリジナルのルールブック3冊で“ロールプレイング・ゲーム”という言葉はまったく使われていないと、私は“今日”証言しよう。そしてその言葉は1974~1976年までの間にTSRが出版したどのサプリメントででも使われていない。ウォーゲームのデザイナであるリチャード・バーグが1975年10月に雑誌『Moves』のコラムで使い始め、それと他の出典から趣味の世界にじょじょに広がるまで、この言葉とこのゲームに関連性はなかった。1977年に『ダンジョンズ&ドラゴンズ・ベーシック・セット』をJ・エリック・ホームズ博士が編集している頃、TSRはその言葉を採用して彼らの新作を“人類初のよくできた幻想世界のロールプレイング・ゲーム”と呼んだ。
なぜその言葉が生まれてからD&Dを指すようになるまでそこまで長くかかったのだろう?その答えの大きな部分は、上記の副題を見ればわかる。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の前身はゲイリー・ガイギャックスとジェフ・ペレンが書いた『Chainmail』と呼ばれるルールの一部だった。Lake Geneva Tactical Studies Associationの会員によって中世の戦争をシミュレートするために書かれた『Chainmail』は、その後1971年にGuidon Gamesから拡張ルールを含めて出版された。その拡張ルールの重要な部分は、モンスター、呪文、そして魔法の武器などをプレイヤーが使えるようにして『J・R・R・トールキン、ロバート・E・ハワードなどの幻想小説家が描く神話的闘争を再現したり、君自身の“世界”を築き、そこで起こる戦いをもとにした幻想的なキャンペーンを行なう』ための『ファンタジー・サプリメント』だった。
そのミニチュア・ウォーゲームがガイギャックスの構想によって今日の私たちが知るようなロールプレイングとなるには、あと数年――その大きな要素としてデイヴ・アーンソンのブラックムーア・キャンペーンがミネアポリスで始まったことが挙げられる――の時間が必要となる。それでも、ガイギャックスとアーンソンはD&Dを異なる娯楽と見るよりはむしろ、ミニチュア・ウォーゲームとして見続けた。たとえば、1973年の11月にD&Dの前書きでガイギャックスは読者に繰り返し“ウォーゲーマ”と呼びかけていた。また、これはもしかしたら単に彼が“ファンタジー馬鹿”(ガイギャックスが彼の前書きで使ったもうひとつの言葉である)への呼びかけでよりよい言い回しを思いつかなかったのかもしれない。しかし、私はそれもこの時代、テーブルの上での大規模戦闘以上に“ウォーゲーム”という言葉が広い意味で用いられていたからだと推測している。
それでも、D&Dがその副題にもかかわらず“準備するもの”にミニチュア・フィギュアがなく“想像力”と“心の広い裁定者1人”があることには特筆すべきだ! 別の場所には『プレイヤーがそれらを使いたいならミニチュア・フィギュアを加えてもよいし、それは推奨される。しかしミニチュアは必須ではなく、見栄えがよくなるだけだ。』と書かれている。ルールブックが繰り返し述べるのは“色鮮やかに塗られたさまざまなミニチュア・フィギュア”は“魅力的”だということだ。5年後の1979年に発売されたAD&Dの『ダンジョン・マスターズ・ガイド』も、基本的に同じ態度でこう述べている。『ミニチュア・フィギュアはキャラクターやモンスターを色鮮やかでいきいきとゲームに再現する。それらはまた、特に戦闘についてだが行動の裁定をより楽なものにする!』
AD&Dの『ダンジョン・マスターズ・ガイド』が取った態度は驚くべきものではない。D&Dはミニチュア・ウォーゲームから生まれ、誕生から数年の間は変わり種のミニチュア・ウォーゲームとして自らを売り込んでいたからだ。同じように、このゲーム最初期のプレイヤーたちはその多くがミニチュア・ウォーゲーマで、ウォーゲーム・クラブやコンベンションでD&Dは広められた(たとえば正式に第1回とされる1968年のGen ConはInternational Federation of Wargamersが後援している)。したがって、1981年以前の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』には移動距離をインチで測る(1インチが屋内では10フィート相当、屋外では10ヤード相当)など、ミニチュア・ウォーゲームを起源とする慣例が多く残されていた。これはこのゲームの最初期プレイヤーや彼らからD&Dを教わった人たちがこれらの慣例を共有していたからだ。
1974年に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を出版する以前、ウォーゲームで使えるファンタジーを題材としたミニチュアは非常に少なかった。そのため、ゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アーンソンのふたりはウィザード、エルフ、モンスター、などのファンタジー世界の住民を表現するために創造的であることを要求された。1972年10月の『Wargamer's Newsletter』では、ガイギャックスが彼の『Chainmail』でエラストリンとエアフィックスが販売している30mmと40mmのプラスチック製ミニチュアを使い、“さまざまなプラスチック製の古代生物”がそれを補っていると説明した。これらの“古代生物”の中には、ブレット、アウルベア、ラスト・モンスターなどD&Dの象徴的なモンスターが数多く存在した。ガイギャックスはまた、ドラゴン、ヒドラなどの爬虫類の敵を作るためこれらの古代生物に手を加えもした。
もちろん、D&Dのプレイヤーすべて、また、ミニチュア・ウォーゲームをプレイする人すべてが自分のファンタジー・フィギュアを改造することに興味があったわけではない。そういうこともあり、1977年にはイギリスのミニフィグから『ダンジョンズ&ドラゴンズ』最初の公式ミニチュア製品が発売された。1980年には、グレナディア・モデルが公式D&Dミニチュアの生産許可を得て、TSR自体が生産を開始する1983年までそれを続けた。その後、他の業者も公式D&Dミニチュアを作成して売るように(その中には一番最近のウィザーズ・オブ・ザ・コーストによるものも含まる)なり、ロールプレイングという趣味が生まれた時からの伝統は受け継がれている。
最初期の公認D&Dフィギュアの造形は現在の標準に比べると粗かったが、『モンスター・マニュアル』などの説明やイラストにできるだけ近づけたものにしようとはしていた。ガイギャックスとアーンソンがロビン・フッドのフィギュアとプラスチック製の恐竜を改造しなければならなかった時代に比べれば、ゲーマがゲームのルールブックに説明されたような姿のドラゴンを彼らのプレイヤー・キャラクターと対峙させることができることを、D&Dミニチュアの降臨は意味していた。これは多くのプレイヤーと裁定者、特にD&Dの人気はミニチュア・ウォーゲームのコミュニティ以外にも拡大していたため、彼らにとって大きな助けになった。
今日、それらの使用が最初はオプションだったにもかかわらず、ミニチュア・フィギュアはおろか地形すら『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と深く関係している。そして関係は続いていき――次の40年後、D&Dはどこから来たのか思い出させてくれるだろう。
著者について
ジェームズ・マリシェフスキーがロールプレイを始めたのは1979年晩秋のことで、彼は父親が自分のために買ってきたJ・エリック・ホームズ博士が編集した『ダンジョンズ&ドラゴンズ・ベーシック・セット』でそれを初めた。それから30年以上経つが、彼はまだプレイを続けている。彼はフリーランスの文筆業をするかたわら、古典的なゲームのやり方についてhttp://grognardia.blogspot.comでブログを書いている。