ネコぶんこ


2011年10月04日 リチャード・ギャリオットのロングランヒットである「ウルティマ(Ultima)」シリーズは、彼が高校時代に開いていた「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のパーティがもともとの土台となっている。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e][LnL] 『魔法と未知(Magic and Mystery)』

伝説と伝承

モンテ・クック

D&Dは多くの分野にわたっている。私がこのゲームの仕事をしていると、いつも次から次へと扱う題材が変わっていく。君たちもこのことについては私を勘弁してほしい。私は先週知覚について書いたけれども、今週の……魔法のアイテムについて君たちに語るにあたり、話題を転換させるいい案がないのだ。

魔法のアイテムは最初からゲームの一部だった。まず、それらは君のキャラクターを他と区別する最大の要素のひとつである。OD&Dで6レベルのファイター2人はかなり似通っていたが、片方はフレイム・タンという剣を持ち、もう片方はヘルム・オヴ・ブリリアンスを被っていたなら、彼らはプレイの場でまるで違うものとなっていた。

何年も経ち、魔法のアイテムは多くのプレイヤーにとって簡単に予想できるものになった。事実、ゲームが版を重ねるにつれ、キャラクターは予測できるくらいの遭遇を決められた魔法の装備で攻略するようバランスが取られてきた。それは間違いのないやり方かもしれないが、それにはいくつかの問題がある。

第1に、財宝が報酬ではなく、突き詰めるとキャラクターの成長要素のひとつになってしまうことだ。D&Dの中心に据えられた物語が冒険者がダンジョンへ踏み込んでモンスターと戦い財宝を得るというものであれば、モンスターと財宝はシステムの要素ではなく、物語の要素でなければならない。なぜ私がそう考えるのかというと、それらはゲーム・システムではなく、世界の法則で動いていなければいけないからだ。キャラクターが簡単な挑戦と難しい挑戦、どちらかを選ばなければならない時があったとしよう。そういう時、一般的に難しい方がより大きな報酬を得られる。ある人は4レベルのキャラクターが+3ソードを持っているのはよくないと思うかもしれないが、彼がプレイ中に賢く(そして正当に、おそらくは幸運も味方して)それを得るための適切な障害をきちんと克服した時、彼はそれを得てはいけないだろうか? 同様に、もし10レベルのキャラクターがいまだに臆病なコボルドと半人前のゴブリンを相手にしているなら、彼はとても少ない財宝しか持っていないほうが正当ではないだろうか? +3ソードは10レベルのキャラクターが持っていなければならないので都合よく空から降ってくるものではない。報酬が報酬であるのはよくないことだろうか? そういう考えの下、凄い財宝をちらつかせることは何かを意味する。実際にPCはより努力するだろう。

第2に、魔法のアイテムがきちんとしていると、それらから未知さが幾分失われてしまう。プレイヤーは常にそれについて「ゲームの魔法には不思議さをあまり感じないね」というようなことを話す。私は彼らが見失っているものを未知さだと考える。魔法は怪しく未知なものでなくてはならず、注意深くバランスが取られ定義がはっきりした呪文やパワーを整然と並べられれば、どんな未知もそうあり続けるのは難しい。プレイヤーズ・ハンドブックに掲載されたものはほとんどすべてが定義され、長らく未知は失われた。私たちは事実、プレイヤーがその本を最後まで読むと思っている。これは、伝統的にDMがふさわしい時に怪しい魔法のアイテムをゲームへ投げ込むことで魔法の未知さを演出してきたことを意味する。なぜ? ゲームの歴史の中で、魔法のアイテムはほとんどDMの領分とされていた。プレイヤーは宝箱を開けて中に入っている色々なものを見つけても、それが何かまったくわからなかった。ソード? よし、私たちはそれが何か大体わかっている。ワンド? どんな魔法の呪文が込められているかわかったものではない。アミュレット? リング? こういうものはどんな可能性もありうる。それに凄いものだ。

しかし財宝に入っているアイテムがプレイヤーに周知のものとなったり、彼らが大きな街ある魔法のアイテムの店に行って欲しいものを買えるなら、そこに未知はなくなる。これは魔法のアイテムをキャラクターの成長から外すことこそ、魔法が未知を取り戻すための素晴らしい方法のひとつだということを意味する。

そう、ここまで読んできた君。ゲームが魔法のアイテムを必要としないというのはどうだろう? 魔法のアイテムが激戦をくぐり抜けたキャラクターだけ得られるものだったら? 魔法がありふれていても珍しくても、DMは彼が望んだ通りのキャンペーンを行なえる。ドラゴンと戦うことを選んだプレイヤーは安全策を選んだ者より裕福になる。私が前に書いたように、より努力したPCはより多く得られるようになる。大きな挑戦に成功すれば、そうしないよりもっと強くなれる。それはD&Dが少しずつ捨ててきた心と魂だと思う。

プレイヤーがどのレベルに何を持っていなければいけないかをDMに要求する厳格なシステムよりむしろ、ゲームにさまざまなアイテムを導入することで起こりうることの指針と提案をDMに提供することもできる。こうして、DMは知識で武装するが、彼や彼女がやりたいことは何でもできるようになる。

それがどんな扉を開くことになるだろう? 私は面白くなると思う。魔法のアイテムが簡単に買える何かではなく、キャラクターのレベルと慎重に合わせたものでもないなら、それらの驚きはより奇妙で、より特別で、そして全体ではもっと面白いものになりうる。君はロッドを+1メイスのように振り回し、使い手が他の次元界へのポータルを開くことができる場所、“狂気の”ラムの要塞にある暗い落とし穴に投げ入れることもできる。そして君はゲームのシステム上バランスを取るために公平な値段をつけることに苦しむこともなくなる。君はきちんと値段をつけられるだろう(大事なことだが、魔法のアイテムの価格がもっともどうでもいい部分で何が悪い? それは面白さでは一番小さい部分だ)。

DM用の道具

魔法のアイテムにはもうひとつあまり語られない側面がある。魔法のアイテムはDMがキャラクターを個性化させる役割という面白い使い方を持っている。うまいDMはキャラクターのあり方、彼や彼女が挑戦を解決する方法を、彼らが発見する財宝群に置くアイテムによって微妙に干渉することができる。たとえば、PCのウィザードがたくさんモンスターを呼び出していてDMがそれを楽しみにしているなら、彼は彼女の入るダンジョンにブレイザー・オヴ・ファイアー・エレメンタルズを準備することができる。DMがキャンペーンでもっと次元界の冒険をやりたいなら、ドラウのプリーステスはキュービック・ゲートを手に入れるかもしれない。まだある。これはゲーム・システムから彼らが持つ予定のものを要求されるのではなく、キャラクターに持たせたい財宝をDMが(必要に応じて)準備できることを意味する。そして、プレイヤーも予想通りと言うことはなくなるだろう。

プレイヤーは獲得したアイテムについて、システムではなく物語をもとに演じることができる。ウィザードのプレイヤーがローブ・オヴ・ジ・アーク・マギを欲しがるなら、彼女はそのありかを調べることができ、どんな挑戦を成し遂げればそれを得られるのか学び、そして探求行を行ない、うまくすれば彼女の友から助けを得ることもできる。こうして、ダンジョンのより深い階層へ向かえばほとんどの場合よりよい戦利品や探していた特別なアイテムが見つかるかもしれないということは、魔法のアイテムを起源の役割に回帰させ、それは冒険を駆動させる力になる。


2011年10月11日 一九七四年、ガイギャックスは、数人の仲間とともにTSR(Tactical Studies Rules)という会社を設立し、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を発売した。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e][LnL] 『ともに生き、ひとり死ぬ(Live Together, Die Alone)』

伝説と伝承

モンテ・クック

このコラムで私は時々、ダンジョンズ&ドラゴンズというゲームの素晴らしい面を問いなおそうと思う。そしてそれを書くとき、私はひとつの版やその他に肩入れをしているわけではなく、ゲーム全体を見渡そうとしている。いい換えれば、私はゲームが生まれた日から、今まさにこの日までを論じている。

多くのものがこの線に乗って存在しているが、現在私が考えているものはD&Dのゲームにおけるチームワークの面である。ゲイリー・ガイギャックスが他界したとき、司祭は葬儀でこう言った――もう数年経っているので、それを私の言葉でいい換えれば――それは、彼のもっともよく知られた功績が他より少しでもたくさんの得点を得ようとするのではなく、プレイヤーが手をとりあって共通の目標へ進むゲームを作った、というものだった。ここには真実がある。

私はゲームでグループが力を合わせ、パワーや能力で他者を助け、お互いの長所と弱点を補完しあうさまを愛している。そうやって動くことを覚えたグループは単純に合計するよりも大きな力を発揮する。ゲームはグループ行動を前提にデザインされ、プレイヤーは異なる役割を果たすことでパズルのピースのようにかみ合うようになっている。あるクラスの弱点は、他の長所だ。それぞれにプレイで不可欠な役割がある。全員がそれを持っている。輝く瞬間を。

多くのクラスは昔から他者を助ける力を持っている。たとえば、クレリックを例に挙げれば、常に他のキャラクターを回復させる役割を持っていた。バード、彼らがゲームが生まれてしばらくしてから現われたとき、彼らは味方を鼓舞し、彼らにボーナスや助けを与えた。より近年になると、ウォーロードが他者の戦闘行為を助けるようになった。他のクラスも年月を通して似たような力を使ってきた。

一部の人たちはそれらのクラスを無視するか、それらにけちをつけさえした。彼らは他の誰かを支援するためにアクションを使うのはアクションの浪費だと主張する。彼らはゲームで自分の持ち時間すべてでダメージを増加させて主役になりたがっている――すばらしいことだ。より力とかっこよさを求めるその姿勢は確かに何も間違っていない。それはゲームの大きな要素だ。しかし“アクションを浪費するアクション”を批判する人たちは他者を助けることを能動的に楽しんでいる人たちがいることを理解していない。これはロールプレイヤー道を考えるにあたって興味深い断絶だ。(そしてもちろん、確かに、支援を与えることに価値があることを理解している人たちも、彼らのやり方でダメージを増加させたり面白いことをやるのが好きだ。)

他者を助けることはチームでの努力に関わる明確に有効な手段で、第一にそれは他のプレイヤーから感謝される。そうすることで他の人もそれに報いるよううながす。私は、たとえば、キャラクターがそれまでパーティにやってきた(そしてやり続ける)ことのためになど、人々が身を賭してクレリックを助けようとしている物語を1ダースは簡単に思いつく。これらを助ける、後押しするキャラクターはかなり頻繁にグループのかなめとなる。

ゲーム・デザインの観点では、他者を助けるために犠牲を必要とするクラスをいくつか作りたいという誘惑にかられる。しかし君が友を助けるために己を投げ出すことを楽しんでいる人たちの視点から見て、単純にそれらのオプションをより楽で実りあるものにするのはどうだろうか? クレリックやバードのクラスを誰でもプレイしたいように作るのではなく、クレリックやバードが好きな種類のプレイヤーが見て、彼らが本当にプレイしたがる面を強調することもできる。

しかし、そうしてから、君はあるクラスがないとゲームはできないと主張する人たちを見つける。このゲームの旧版では、たとえば、クレリックは最低1人必要なものだった。だが、必須のクラスを作成することと、みんなが幸せになるクラスを作成することには隔たりがある。事実、すべてのクラスはその観点――不可欠ではなく、彼らの持つ性質が有用である――で作成されるべきだ。

最後に、全員に彼らの味方を支援する機会を与えるのも一考に値するかもしれない。回復だけではなく、他者の行動を支援するアクションと能力で。たとえば、より効果のある“援護”や協調アクションのルールがあった場合、君はどうする。英雄的なキャラクターは危機にさらされた彼らの仲間の前に割って入りダメージを肩代わりできるかもしれない。君は実際、あらゆるクラスに彼らの友を助けるための独特ないくつかの方法を特別なオプションとして準備することもできる。

ゲームが生まれた頃から、多くのクラスはみんなで手を取りあっていくよう設計されてきた。重要なのは自立できない(それは適切なアイテムを持ったり君がいることで達成することができるが)ことではなく、チームワークでよりよくなることだ。ゲイリー自身、何度も記事、本、そしてモジュールでうまいプレイ――チームワークと協力――について、それこそが目的でもあり、ゲームが突きつけてくる辛い困難を克服するための鍵であると書いてきた。


2011年10月18日 彼と仲間たちは、気楽なことに五万部という予測を立てていた。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e][LnL] 『継承される過去(Preserving the Past)』

伝説と伝承

モンテ・クック

ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの新しい役割で、私は最新製品だけではなく、現在まで続いてきたこのゲームすべてに目を通さなければならない。つねにゲームの全体像を見渡している私の仕事は、この版にけちをつけることではない。それは40年近い歴史――ルール、クラス、呪文、シナリオ、そして、もちろん、モンスター――を意味している。

この文脈で、私はゲーム・デザイナのロブ・シュワルブと昼食どきにD&Dのモンスターについて話をしていた。彼はかつてモンスターは存在すること自体が目的として保護されていたという主張を証明した。私たちは最新版でも――またはここ2つ。あるいは3つの版で―――更新されなかった多くの古いモンスターに思いを馳せた。それはもちろん起こりうることだが、私たちは実際にあるもんスターが存在しなかったと言われるくらい過去のものになってしまったら、それは恐るべきことだと合意した。

私たちはふたりとも青春時代、決して新しいモンスターが馬鹿馬鹿しいと思わなかったことを思い起こした。私は第1版で出た最初のFiend Foiloを買ったときのことを覚えている。当時、私は三脚のようなモンスター、頭を3つ持つtiraphegを見てもそれをばかばかしいと退けることはなかった。その代わり、私はそれが私向けではないと結論した。それは私のではないが、他の誰かのキャンペーンでいい役になるかもしれない。Fiend FoiloMonster Manual IIにはそういうクリーチャーがたくさんいた。最悪、私はノーと言い、私はそれを使わないが、味のあるやつら。よくて、私の琴線を刺激はなかったり、すぐ使おうと思えなかったモンスターがいる場合、私は挑戦としてそれを使った。私はどうすればgorbelやdenzelianをかっこよく私のゲームに登場させられるだろうか?

もちろん、こんなことはほとんど起こらなかった。たくさんの、たくさんのモンスターはちゃんと本当にかっこよかった。モンスターの本を読むことは、多くのクリーチャーが新しい遭遇や新しいモンスターを次々に提案し、私にプレイさせたがるので、それ自体がすばらしい楽しみだった。

同様に、私は第3版の仕事ではモンスターの選択が厳しかったことを思い出した。結局、たとえば私たちがモンスター・マニュアルに多くの新しいクリーチャーを選び、ペリュトンやレウクロッタなど昔からのものをいくつか外した。

私がそれらに嫌悪感を抱いていた理由は、ゲームの歴史の中で負った役割のせいで、それらが(どちらにも彼らなりの魅力があったが)畏怖の象徴たりえないことだと思う。

私は認めることと継承することがゲームの根幹で重要になると考えている。ちょうど私たちが新製品のために新しい素材を作るとき、あらゆるモンスターは誰かのお気に入りクリーチャーや誰かの大好きなシナリオに出たものなので、そのプレイヤーやDMに彼や彼女が愛したそれを使い続けたがらせるため、私たちは記憶に頼るなどして未来へつなげる過去のかけらを見つけるために後方確認をしないといけない。第3版でペリュトンやレウクロッタがそうだったように。あるいはR.A.サルバトーレの小説で新しい命を与えられたさえないモンスター、dire corbyでもいい。誰かが気に入っている理由はそのままに少し手を加えてクリーチャーにふさわしい場所を与えたり、少し違う役割を与えたり、システムを与える、これらはやりがいのある創造的挑戦だ。

もちろん、これはモンスターだけに当てはまることではない。たとえば呪文や魔法のアイテムも、大切な過去の資産である。これはおそらく特技などについてもそうだが、私はそれらの物語での比重やシステムでの重要度が高いので、モンスター、種族、呪文、そしてアイテムの重要度はより高いと思っている。第1版や第2版でモドロンのいる世界を創造したDMが第3版に移行するときに無視されていい道理はない。私たちは彼のキャンペーン世界の物語面が新しいルールのシステム面のせいで傷つけられ破綻してほしくはない。

私はまたそれは起源に忠実なことにも価値があると思っている。歴史は重要だ。私たちがこのゲームが10年、20年、あるいは30年前がどうだったか知らないなら、私たちはそれらの年月からデザインとプレイを学ぶことを拒絶しているということであり、それはとても近視眼的だ。また、歴史を無視すると私たちがすでに通過したところでつまづきかねない。たとえば、誰かが素早く簡単に変装するための新しいアイテムという車輪の再発明をするより、デザイナはハット・オヴ・ディスガイズを使ったほうがいい。新しい何かを生み出したいだろうが、既にそれがこのゲームに存在するなら新しいものを作ってはいけない。私が考えるに、第2版の中期から後期にかけてのゲーム・デザインはそれ自身の過去を見失っていたと思う。既にたいへん似通ったものがこのゲームに存在していることにデザイナすら気づかず、新しいモンスターやアイテムがが創造されていくさまを見ていたことを私は憶えている。たとえば、遠吠えや咆哮で恐怖を呼び起こさせる犬のようなモンスターがこのゲームにたくさん生み出されたことからも、それが窺える。

もちろん、すばらしい過去の一部としてそれら冗長な面がこのゲームに存在する以上、私たちが彼らをこのゲームから排除したり存在を否定しないことを前提とした上で、私はそれらにそれぞれふさわしい場所を私たちが与えるか、彼らをそっとしておくかきちんと決断する必要があると考えている。


2011年10月19日 発売から一年ほど過ぎたころ、ガイギャックスと仲間たちは売上の予測を立て直していた。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e] 『五輪の死影(The Five Deadly Shadows)』

デザイン&ディベロップメント

テオス・アバディア

DDIチームのデザイン方針は簡単だった。カラ=トゥアのシナリオは英雄たちが5人の恐るべき殺し屋を1人づつ倒していく、古典的なカンフー様式のもの。私はそれが好きだったが、プレイヤーとDMがシナリオを進めることでこのジャンルへの理解を深めることを助けられる、より確かな物語の構造が欲しかった。私は殺し屋をそれぞれ、日本の古い行動規範である武士道の徳に関係させることを提案した。後から思えば、これは執筆中、構想の中心線になって本当に私を助けてくれた。

幸運にも私はAD&DのOriental AdventuresHong Kong Action Theatre!、そしてLegend of the Five Rings RPGなどのRPGをプレイしていた。私の第1目標は他のゲーマーにジャンルの可能性をより深く理解してもらうことだった。私の第2目標は少年時代に観てソファからソファへ飛び移り、少林の達人ごっこをやったカンフー映画の象徴的な場面を再現することだった。

創造の初期段階

普段の私は最初に物語を1ページに書き出してからそれを遭遇に分割する。今回はその代わりに象徴的な要素を想起することから始めた。芸者、忍者、簡素な服に幅広な農夫の帽子を被ったのっぽの男、日本庭園、飛刀、僧院――私はこれらを書きとめ、武士道や殺し屋との対決において楽しめる場面になる追加のアイデアを繋げて書いていった。これは紙2枚分になったので、いくつか物語のアイデアも考え、私はそれを3枚目の紙に書きとめた。これは私が冴えたアイデアを集める気にいっている方法だ。

アイデアを1日置いて落ち着かせてから、私はたいへんおおまかに遭遇を書いていった。私はそれぞれの紙に武士道の7つの徳を書いて、関連しそうな舞台と敵のアイデアを出していった。象徴的な概念と徳にぴったりと合うものを探すのは本当に挑戦的だったが、創造の喜びにあふれたものだった。

私は自分自身へ常になぜそうなっているのか問い続けることで、いくつかの要点を明確にし、私はなぜ5人の殺し屋がなぜそこにいて、英雄たちはなぜ勝たなければならないのかを書き出した。こうして私はさらにアイデアを明確にした。

草稿を書く

私はコンピュータを起動した。私はこの段階で遭遇間の流れを快適なものにするためにも最初から最後までを書いた。私はみんながこのジャンルに持つ象徴的なイメージを想起させるため、遭遇を視覚的に豊かなものにしようとした。私は命名規則、社会的役割、そして民話など、文化の引用も行なった。私は舞台を輝かせるためにも、立ち回りが始まる前にプレイヤーに遭遇を調べさせたかった。

私は現実世界の武士道から格闘技、そして茶室の構造まで、驚くべき量の調査を行なった。こうすることでより強く地に足のついたファンタジーになると思うので、私はこうした調査が大好きだ。

私はいつもモンスターの選択、特にモンスターの外見、生態、そしてパワーで物語を高めたいから、その選択で難儀をする。Dungeonの執筆者は既存の第4版のモンスターを使わなければならないが、ここで私は問題にぶつかった。飛刀、ゲイシャのウーイァン、恐るべき単独のモンク、忍者? これらはいないじゃないか! 私は編集チームが相当品を使わせてくれることを望んだ。ありがたいことに、彼らは必要性をくんでくれ、私に少し特徴的にするよう頼んできた。私はパワーの名前を変更するためにゲームやジャンルの伝承を深く調べた。単独のモンクはAD&DのPH、第3.5版のPHSword and Fist、第4版のフォーゴトン・レルム・キャンペーン・ガイドDark Sun Creature CatalogThe Plane Below、そしてドラコノミコンから想を得た。私はこのシナリオのために15冊以上のRPG書籍とオンラインのD&D Compendiumを利用した。

編集の審査と最終稿

私が草稿を送ってから約1ヵ月後、私は電子メールで校正と私への質問が入った第2稿を受け取った。私は本業で編集者との共同作業には慣れているので、反応を歓迎した。私の経験則だと編集者はいつも正しく、私は彼らと戦うよりは変化を吸収したほうが学べるということだ。私のオタク心はロブ・シュワルブがオフィスにいてシナリオに目を通したことを知り、大喜びした!

ロブのコメントはたいへん洞察に富んでおり、特にモンスターの設計と調整で助けられた。遭遇にはPCの行動次第でパワーを得られるものがあった。ロブは他の問題と一緒に、私がここで再チャージするモンスター用パワーの書式を使ったことを指摘した。結局パワーは地形の特徴になった。それはそうしたほうがよい動きをして、彼のコメントでさらにいくつかの改善も行なえた。

ロブとクリス・パーキンスは私に単独のモンクを精鋭にして敵か罠を追加するよう提案してきた。私はPCの憎しみが最終的にその敵1体へと集中することが物語を一番盛り上げると思っていた。ロブはこれを読んでいたのか、彼は単独を改善するためいくつかの案を出してきたので、私はそれらすべてを取り入れた。

結論

最初から最後まで、この企画の仕事は夢のようだった。私は最後にDMとプレイヤー双方がカラ=トゥアの雰囲気とそこでの物語と遭遇を楽しんでくれることを望む。私は今2本目のカラ=トゥアのシナリオを書いている。信じられないかもしれないが、次のものはよりユーモラス――七人の侍よりはジャッキー・チェン寄りのものだ!

Dungeon #195に掲載されたカラ=トゥアを舞台にした東洋風シナリオ、The Five Deadly Shadowsのメイキング記事ですぅ。どういう流れでシナリオを作っているかが短くまとまっていてわかりやすいので訳しましたぁ。

記事にも書かれているように、The Five Deadly Shadowsは街の色々な場所に潜伏している殺し屋をひとりひとり追い詰めては殺していくというシナリオだけど、茶会の技能チャレンジ、戦闘しながら敵の術を破る、徳を窮めると文字が浮かぶ衣など時代伝奇風味を高める要素が豊富で、小品ながらよくまとまっていると思うですぅ。

また、精鋭や単独の敵が多いので、これらを利用した遭遇の組み立て方の参考にもなると思いますぅ。

§ [DnD][4e] 状態カード

まいどおなじみのMagic Set Editorで状態カードを試作したですぅ。画像素材はEyesPicさんのを使わせてもらいましたぁ。

“セーヴ・終了”や“敵の次のターン終了時”みたいな頻出する終了条件を書いたものもあると便利かもしれないですぅ。


2011年10月22日 ソーダの空き缶やピザボックス、そしてけっこうな数のゴキブリに囲まれながら、彼らはゲームマスターの作り出す絶体絶命のピンチから脱出すべく、一丸となって立ち向かったのである。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e] 『Neverwinter』カード和訳表修正

PONさんのご指摘により、ブレースド・トゥ・ムーヴの、“君の次のターン終了時まで君は幻惑状態となる。”が翻訳ミスだと判明したので“君の次のターン終了時まで君は幻惑状態となる。”に修正しましたぁ。ありがとうございますぅ。

§ [DnD][4e] The ShadowfellDespair Deck和訳修正

KK(alphawave)さんたちのご指摘により、Despair Deck和訳の間違いや取り違えを修正しましたぁ。ご指摘を感謝するとともに、以下はそのリストですぅ。

  • 臆病/Cravenの恩寵側カード名を正しい表記に修正。
  • おののき/Tremblingの恩寵側カード名を正しい表記に修正。
  • CravenSqueamishの訳語がどちらも臆病だったため、Squeamishの訳語を潔癖に変更。
  • 不眠/Insomniaの恩寵効果を正しいものに修正。

本文82ページ最後の単語がパスワードであることに変わりはないですぅ。


2011年10月25日 だがゲーマーにとって、そういった仮想世界は現実世界の延長にすぎないのだ。 [長年日記] 編集

§ [DnD][4e][LnL] 『ルール、ルール、ルール(Rules, Rules, Rules)』

伝説と伝承

モンテ・クック

私、モンテ・クックはダンジョンズ&ドラゴンズ・ロールプレイング・ゲームのゲーム・デザイナとして働いている。伝説と伝承にようこそ、この週刊コラムで、私はゲームに関するいくつかの考え、その歴史、そしてその未来を共有しようと思う。私はD&DをD&Dたらしめるおよそあらゆるゲーム的要素に興味がある。私はまた、最終的にプレイしてゲームを決定づける人たちである君たちがどう考えているかにも非常に興味がある。

ルールがどうゲームに影響するか――+2か+3のボーナスどちらを能力値に与えなければいけないかではなく、ゲームをプレイしているときルールに実感と表現力があるかどうか――を考えることに、私は多くの時間を使っている。ゲームの相互作用がうまくいっていなければ、ルールとゲームのプレイがばらばらになってしまうと私はいった。私はそれが真実であると思うが、実はそうでもない。ある人たちは熟練のダンジョン・マスターはどんなルールを使ってもよいゲームを運営できると――正しいことを――いうが、ルールがいいゲームのプレイを助けることも足をひっぱることもできるともいい換えることもできる。ある意味で、デザイナがルールブックに色々なルールを書くことは、彼が「だめだ」とDMにいっていることになる。ルールは彼女の判断でゲームを裁定するDMの権能を奪うものである。ルール研究家は彼女が何かの取り扱いを間違えると、彼女を指さして指摘するだろう。

では、私はルールがあってはいけない、ゲームはDMが好きなように運営されなければいけないと主張しているだろうか? もちろん違う。ゲームにはルールが必要だ。それらは共有幻想の基礎となり、誰もが同じようにゲームへ参加できるようにする。そしてその土台となるのは、DMを含む全員が全員がきちんとゲームをプレイすることである。もちろん、DMはルールを変更することができるが、グループ全員が変更を受け入れなければならない。

ゲーム・デザイナはルールを記述することで、ルールの枠組で何を語るか語らないかでゲームのプレイに介入できる。詳細な例として、登攀に関するルールを挙げる。登攀のルールはいくつかの異なる方法を記述できる。たとえば……

オプション1

登攀:キャラクターは移動速度の半分で登攀できる。

オプション2

登攀:登攀するキャラクターは移動速度が半分になる。君は急な斜面を登る場合、〈登攀〉判定を行なわなければならない。君は登攀中に戦術的優位を与える。

オプション3

登攀:登攀するキャラクターは移動速度が半分になる。君は急な斜面を登る場合、〈登攀〉判定を行なわなければならない。〈登攀〉判定はキャラクターの【筋力】と、もしあるなら彼の〈登攀〉技能に割り振ったランクの合計に基づいたものである。判定に失敗した場合、君は移動できない。5以上の差を出して判定に失敗したなら、君は落下する。君は落下のダメージを受ける前に、〈登攀〉の難易度に5を足して踏ん張るための判定を行なうことができる。

登攀の難易度は傾斜の度合い、手がかりの数、そして表面のなめらかさによる。下の表を参照すること。

登攀は移動とみなされる。

たとえばポーション・オヴ・クライミングやリング・オヴ・クライミングなどいろいろな魔法のアイテム、登攀キットは登攀する者の判定を助ける。

君は登攀中に戦術的優位を与える。登攀中にダメージを受けた場合、君は即座に判定を行なうか落下しなければならない。

君は通常の移動速度でより速く登攀を行なえるが、判定に-5のペナルティを受ける。

生来の登攀速度を持つクリーチャーは、〈登攀〉判定と登攀中の移動困難地形を無視できる。

一般的な〈登攀〉難易度は以下の通り:

壁面 難易度
はしご 0
結び目のあるロープ 5
ロープ 10
手がかりがある壁面 15
でこぼこの壁面 20
滑りやすい壁面 +5
極端になめらかな壁面 +5
表面にあるひと組の手がかり -5
煙突(向かい合わせにふたつの壁がある) -10

まとめ

慣れたプレイヤーなら最後の項目が第3版と第4版のルールをごちゃ混ぜにしたものだと気づくだろう。細かい版の違いを注目するところではないため、私はそうした。今日の私たちの目的に、詳細なルール自体は包括的な視点より重要度が落ちる。わかるように、最初の例は非常に簡素である。このルールの場合、他にルールはあるかもしれないが君が両手をいっぱいに広げて頑張っていると、君は戦術的優位を与えることを示唆している。だがこの方法では論理と状況について、DMが規範となり彼女が適当と考える処理を行なわせることになる、こうしたルールのゲームでは、DMはそれが適切なら登攀の判定を行なうように言うだけかもしれない。実際に彼女がそうすることはないかもしれないが、部屋の向こう側へ歩くために成功や失敗を求めることがないように、それが適切と感じないかぎり登攀に関係する成功や失敗はないものとして裁定されるかもしれない。

2つめの例はわずかに肉付けがされ、最初の例を否定するものもない。だが、それは成功を求めるシステムであることを示唆している。それは些細なことと思うかもしれないが、そうでもない。それは登攀という行為すべてのありようを変える。今このルールを読んでいるプレイヤーはいくつかの登攀はより難しいというだけではなく、ある種のキャラクターやクリーチャーはそれが得意だという予想もしているだろう。読者も登攀中に受ける戦闘の効果を知り、ルールは彼に“戦術的優位”の意味を理解するよう求める。しかし、角になっている場所や滝のようなところなど、登攀それぞれの難しさについては完全にDMの手の内に残っている。たとえばこのルールを使った場合、他では踏ん張るときにもう一度〈登攀〉判定をさせるところで、あるDMはセーヴィング・スローをさせるかもしれない。

3つめの例は他の2つを否定せずに柔軟性ある詳細さを持たせた。角になっている場所などの難易度も設定された。それは2つめの大部分をあらかじめ予期し、すべてに基準を用意した。誰もが同じ方法を使って自分たちのゲームで登攀ができ、登攀がゲームでどう扱われるかという即席の裁定をDMに強制することもない。同時に、それは他の2つと比較され、その説明と情報量からくる面倒さを持っている。このルールを使うゲームにおいて、誰かが壁面を登りたくなったときに、誰かが乱暴に本を開いてその部分を調べることは創造に難くない。

実際のシステムも私たちの話題と同じで、あらゆる版のルールが提示したものはみんなで卓を囲みゲームを実際にプレイする現場にも非常に異なった影響を及ぼしている。微に入り細を穿つのは必ずしもよいルールではないが、よりそぎ落とせばより単純なゲームになるというわけでもない。