ネコぶんこ


2011年10月04日 リチャード・ギャリオットのロングランヒットである「ウルティマ(Ultima)」シリーズは、彼が高校時代に開いていた「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のパーティがもともとの土台となっている。 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『魔法と未知(Magic and Mystery)』

伝説と伝承

モンテ・クック

D&Dは多くの分野にわたっている。私がこのゲームの仕事をしていると、いつも次から次へと扱う題材が変わっていく。君たちもこのことについては私を勘弁してほしい。私は先週知覚について書いたけれども、今週の……魔法のアイテムについて君たちに語るにあたり、話題を転換させるいい案がないのだ。

魔法のアイテムは最初からゲームの一部だった。まず、それらは君のキャラクターを他と区別する最大の要素のひとつである。OD&Dで6レベルのファイター2人はかなり似通っていたが、片方はフレイム・タンという剣を持ち、もう片方はヘルム・オヴ・ブリリアンスを被っていたなら、彼らはプレイの場でまるで違うものとなっていた。

何年も経ち、魔法のアイテムは多くのプレイヤーにとって簡単に予想できるものになった。事実、ゲームが版を重ねるにつれ、キャラクターは予測できるくらいの遭遇を決められた魔法の装備で攻略するようバランスが取られてきた。それは間違いのないやり方かもしれないが、それにはいくつかの問題がある。

第1に、財宝が報酬ではなく、突き詰めるとキャラクターの成長要素のひとつになってしまうことだ。D&Dの中心に据えられた物語が冒険者がダンジョンへ踏み込んでモンスターと戦い財宝を得るというものであれば、モンスターと財宝はシステムの要素ではなく、物語の要素でなければならない。なぜ私がそう考えるのかというと、それらはゲーム・システムではなく、世界の法則で動いていなければいけないからだ。キャラクターが簡単な挑戦と難しい挑戦、どちらかを選ばなければならない時があったとしよう。そういう時、一般的に難しい方がより大きな報酬を得られる。ある人は4レベルのキャラクターが+3ソードを持っているのはよくないと思うかもしれないが、彼がプレイ中に賢く(そして正当に、おそらくは幸運も味方して)それを得るための適切な障害をきちんと克服した時、彼はそれを得てはいけないだろうか? 同様に、もし10レベルのキャラクターがいまだに臆病なコボルドと半人前のゴブリンを相手にしているなら、彼はとても少ない財宝しか持っていないほうが正当ではないだろうか? +3ソードは10レベルのキャラクターが持っていなければならないので都合よく空から降ってくるものではない。報酬が報酬であるのはよくないことだろうか? そういう考えの下、凄い財宝をちらつかせることは何かを意味する。実際にPCはより努力するだろう。

第2に、魔法のアイテムがきちんとしていると、それらから未知さが幾分失われてしまう。プレイヤーは常にそれについて「ゲームの魔法には不思議さをあまり感じないね」というようなことを話す。私は彼らが見失っているものを未知さだと考える。魔法は怪しく未知なものでなくてはならず、注意深くバランスが取られ定義がはっきりした呪文やパワーを整然と並べられれば、どんな未知もそうあり続けるのは難しい。プレイヤーズ・ハンドブックに掲載されたものはほとんどすべてが定義され、長らく未知は失われた。私たちは事実、プレイヤーがその本を最後まで読むと思っている。これは、伝統的にDMがふさわしい時に怪しい魔法のアイテムをゲームへ投げ込むことで魔法の未知さを演出してきたことを意味する。なぜ? ゲームの歴史の中で、魔法のアイテムはほとんどDMの領分とされていた。プレイヤーは宝箱を開けて中に入っている色々なものを見つけても、それが何かまったくわからなかった。ソード? よし、私たちはそれが何か大体わかっている。ワンド? どんな魔法の呪文が込められているかわかったものではない。アミュレット? リング? こういうものはどんな可能性もありうる。それに凄いものだ。

しかし財宝に入っているアイテムがプレイヤーに周知のものとなったり、彼らが大きな街ある魔法のアイテムの店に行って欲しいものを買えるなら、そこに未知はなくなる。これは魔法のアイテムをキャラクターの成長から外すことこそ、魔法が未知を取り戻すための素晴らしい方法のひとつだということを意味する。

そう、ここまで読んできた君。ゲームが魔法のアイテムを必要としないというのはどうだろう? 魔法のアイテムが激戦をくぐり抜けたキャラクターだけ得られるものだったら? 魔法がありふれていても珍しくても、DMは彼が望んだ通りのキャンペーンを行なえる。ドラゴンと戦うことを選んだプレイヤーは安全策を選んだ者より裕福になる。私が前に書いたように、より努力したPCはより多く得られるようになる。大きな挑戦に成功すれば、そうしないよりもっと強くなれる。それはD&Dが少しずつ捨ててきた心と魂だと思う。

プレイヤーがどのレベルに何を持っていなければいけないかをDMに要求する厳格なシステムよりむしろ、ゲームにさまざまなアイテムを導入することで起こりうることの指針と提案をDMに提供することもできる。こうして、DMは知識で武装するが、彼や彼女がやりたいことは何でもできるようになる。

それがどんな扉を開くことになるだろう? 私は面白くなると思う。魔法のアイテムが簡単に買える何かではなく、キャラクターのレベルと慎重に合わせたものでもないなら、それらの驚きはより奇妙で、より特別で、そして全体ではもっと面白いものになりうる。君はロッドを+1メイスのように振り回し、使い手が他の次元界へのポータルを開くことができる場所、“狂気の”ラムの要塞にある暗い落とし穴に投げ入れることもできる。そして君はゲームのシステム上バランスを取るために公平な値段をつけることに苦しむこともなくなる。君はきちんと値段をつけられるだろう(大事なことだが、魔法のアイテムの価格がもっともどうでもいい部分で何が悪い? それは面白さでは一番小さい部分だ)。

DM用の道具

魔法のアイテムにはもうひとつあまり語られない側面がある。魔法のアイテムはDMがキャラクターを個性化させる役割という面白い使い方を持っている。うまいDMはキャラクターのあり方、彼や彼女が挑戦を解決する方法を、彼らが発見する財宝群に置くアイテムによって微妙に干渉することができる。たとえば、PCのウィザードがたくさんモンスターを呼び出していてDMがそれを楽しみにしているなら、彼は彼女の入るダンジョンにブレイザー・オヴ・ファイアー・エレメンタルズを準備することができる。DMがキャンペーンでもっと次元界の冒険をやりたいなら、ドラウのプリーステスはキュービック・ゲートを手に入れるかもしれない。まだある。これはゲーム・システムから彼らが持つ予定のものを要求されるのではなく、キャラクターに持たせたい財宝をDMが(必要に応じて)準備できることを意味する。そして、プレイヤーも予想通りと言うことはなくなるだろう。

プレイヤーは獲得したアイテムについて、システムではなく物語をもとに演じることができる。ウィザードのプレイヤーがローブ・オヴ・ジ・アーク・マギを欲しがるなら、彼女はそのありかを調べることができ、どんな挑戦を成し遂げればそれを得られるのか学び、そして探求行を行ない、うまくすれば彼女の友から助けを得ることもできる。こうして、ダンジョンのより深い階層へ向かえばほとんどの場合よりよい戦利品や探していた特別なアイテムが見つかるかもしれないということは、魔法のアイテムを起源の役割に回帰させ、それは冒険を駆動させる力になる。