ネコぶんこ


2011年10月25日 だがゲーマーにとって、そういった仮想世界は現実世界の延長にすぎないのだ。 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『ルール、ルール、ルール(Rules, Rules, Rules)』

伝説と伝承

モンテ・クック

私、モンテ・クックはダンジョンズ&ドラゴンズ・ロールプレイング・ゲームのゲーム・デザイナとして働いている。伝説と伝承にようこそ、この週刊コラムで、私はゲームに関するいくつかの考え、その歴史、そしてその未来を共有しようと思う。私はD&DをD&Dたらしめるおよそあらゆるゲーム的要素に興味がある。私はまた、最終的にプレイしてゲームを決定づける人たちである君たちがどう考えているかにも非常に興味がある。

ルールがどうゲームに影響するか――+2か+3のボーナスどちらを能力値に与えなければいけないかではなく、ゲームをプレイしているときルールに実感と表現力があるかどうか――を考えることに、私は多くの時間を使っている。ゲームの相互作用がうまくいっていなければ、ルールとゲームのプレイがばらばらになってしまうと私はいった。私はそれが真実であると思うが、実はそうでもない。ある人たちは熟練のダンジョン・マスターはどんなルールを使ってもよいゲームを運営できると――正しいことを――いうが、ルールがいいゲームのプレイを助けることも足をひっぱることもできるともいい換えることもできる。ある意味で、デザイナがルールブックに色々なルールを書くことは、彼が「だめだ」とDMにいっていることになる。ルールは彼女の判断でゲームを裁定するDMの権能を奪うものである。ルール研究家は彼女が何かの取り扱いを間違えると、彼女を指さして指摘するだろう。

では、私はルールがあってはいけない、ゲームはDMが好きなように運営されなければいけないと主張しているだろうか? もちろん違う。ゲームにはルールが必要だ。それらは共有幻想の基礎となり、誰もが同じようにゲームへ参加できるようにする。そしてその土台となるのは、DMを含む全員が全員がきちんとゲームをプレイすることである。もちろん、DMはルールを変更することができるが、グループ全員が変更を受け入れなければならない。

ゲーム・デザイナはルールを記述することで、ルールの枠組で何を語るか語らないかでゲームのプレイに介入できる。詳細な例として、登攀に関するルールを挙げる。登攀のルールはいくつかの異なる方法を記述できる。たとえば……

オプション1

登攀:キャラクターは移動速度の半分で登攀できる。

オプション2

登攀:登攀するキャラクターは移動速度が半分になる。君は急な斜面を登る場合、〈登攀〉判定を行なわなければならない。君は登攀中に戦術的優位を与える。

オプション3

登攀:登攀するキャラクターは移動速度が半分になる。君は急な斜面を登る場合、〈登攀〉判定を行なわなければならない。〈登攀〉判定はキャラクターの【筋力】と、もしあるなら彼の〈登攀〉技能に割り振ったランクの合計に基づいたものである。判定に失敗した場合、君は移動できない。5以上の差を出して判定に失敗したなら、君は落下する。君は落下のダメージを受ける前に、〈登攀〉の難易度に5を足して踏ん張るための判定を行なうことができる。

登攀の難易度は傾斜の度合い、手がかりの数、そして表面のなめらかさによる。下の表を参照すること。

登攀は移動とみなされる。

たとえばポーション・オヴ・クライミングやリング・オヴ・クライミングなどいろいろな魔法のアイテム、登攀キットは登攀する者の判定を助ける。

君は登攀中に戦術的優位を与える。登攀中にダメージを受けた場合、君は即座に判定を行なうか落下しなければならない。

君は通常の移動速度でより速く登攀を行なえるが、判定に-5のペナルティを受ける。

生来の登攀速度を持つクリーチャーは、〈登攀〉判定と登攀中の移動困難地形を無視できる。

一般的な〈登攀〉難易度は以下の通り:

壁面 難易度
はしご 0
結び目のあるロープ 5
ロープ 10
手がかりがある壁面 15
でこぼこの壁面 20
滑りやすい壁面 +5
極端になめらかな壁面 +5
表面にあるひと組の手がかり -5
煙突(向かい合わせにふたつの壁がある) -10

まとめ

慣れたプレイヤーなら最後の項目が第3版と第4版のルールをごちゃ混ぜにしたものだと気づくだろう。細かい版の違いを注目するところではないため、私はそうした。今日の私たちの目的に、詳細なルール自体は包括的な視点より重要度が落ちる。わかるように、最初の例は非常に簡素である。このルールの場合、他にルールはあるかもしれないが君が両手をいっぱいに広げて頑張っていると、君は戦術的優位を与えることを示唆している。だがこの方法では論理と状況について、DMが規範となり彼女が適当と考える処理を行なわせることになる、こうしたルールのゲームでは、DMはそれが適切なら登攀の判定を行なうように言うだけかもしれない。実際に彼女がそうすることはないかもしれないが、部屋の向こう側へ歩くために成功や失敗を求めることがないように、それが適切と感じないかぎり登攀に関係する成功や失敗はないものとして裁定されるかもしれない。

2つめの例はわずかに肉付けがされ、最初の例を否定するものもない。だが、それは成功を求めるシステムであることを示唆している。それは些細なことと思うかもしれないが、そうでもない。それは登攀という行為すべてのありようを変える。今このルールを読んでいるプレイヤーはいくつかの登攀はより難しいというだけではなく、ある種のキャラクターやクリーチャーはそれが得意だという予想もしているだろう。読者も登攀中に受ける戦闘の効果を知り、ルールは彼に“戦術的優位”の意味を理解するよう求める。しかし、角になっている場所や滝のようなところなど、登攀それぞれの難しさについては完全にDMの手の内に残っている。たとえばこのルールを使った場合、他では踏ん張るときにもう一度〈登攀〉判定をさせるところで、あるDMはセーヴィング・スローをさせるかもしれない。

3つめの例は他の2つを否定せずに柔軟性ある詳細さを持たせた。角になっている場所などの難易度も設定された。それは2つめの大部分をあらかじめ予期し、すべてに基準を用意した。誰もが同じ方法を使って自分たちのゲームで登攀ができ、登攀がゲームでどう扱われるかという即席の裁定をDMに強制することもない。同時に、それは他の2つと比較され、その説明と情報量からくる面倒さを持っている。このルールを使うゲームにおいて、誰かが壁面を登りたくなったときに、誰かが乱暴に本を開いてその部分を調べることは創造に難くない。

実際のシステムも私たちの話題と同じで、あらゆる版のルールが提示したものはみんなで卓を囲みゲームを実際にプレイする現場にも非常に異なった影響を及ぼしている。微に入り細を穿つのは必ずしもよいルールではないが、よりそぎ落とせばより単純なゲームになるというわけでもない。