ネコぶんこ


2011年11月01日 何かルールや当座の目的があるにしても、それが何なのか、はっきりしないのだ。 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『ルールを使い倒す(Getting the Most Out of the Rules)』

伝説と伝承

モンテ・クック

先週、私はルールがゲームに行なう提案の効果、具体的には純粋にルールの量と関係する事を話した。今週、私はその話題を続けて話すとともに、それと関係するD&Dゲームで使われる言葉について話そうと思う。

1974年に生まれたダンジョンズ&ドラゴンズが今日に至るまで進化させてきたルールを書くための言葉と記法を見ていくのは魅力的だ。全体を見ると、一般的な流れとして、くだけた調子からより正確であらたまった文体になってきている。正確であることはよいことで、使いやすい。くだけた文体はより読みやすく、より面白い。

ここに問題がある。

いくらかの人たちは楽しむために説明書を読む。それらはだいたい退屈に退屈を重ねている。しかし説明書はそう書かれる理由がある。それらは読者が求めた通りのわかりやすく正確な情報が得られなければならない。ひとつの言葉を変えたり、あるいは語順を変化させると、指示がわかりづらくなることすらある。爆弾解体法の解説を読む時なら、私はそれをできるだけ正確にしてほしい。退屈に退屈を重ねたものがちょうどいい。

しかし、D&Dの本は爆弾の信管を外す解説書ではない。それらはドラゴン、冒険、そして英雄譚を語るゲームの本だ。人々がD&Dのルールブックを読んだ時、それは本当に技術書なみに退屈に退屈を重ねたものでなければならないだろうか? それは正確な専門用語、キーワード、そして定型通りの文章で満たされてないといけないだろうか? あるいはDMとプレイヤーたちに新しい冒険とキャラクターのひらめきを与えるような物語を含んでなければいけないだろうか?

君はゲームのルールと物語が同じ本の中にあり、ルールは厳格でなければいけないと主張するかもしれないが、では、君はそれらを正しく使いこなすことができるだろうか? 私たちはゲームが表現するいくつかの複雑なものを慎重に言葉を選んだ説明ではなく、くだけた調子と雰囲気を伝える文で、ゲーマがそれらを使いこなせると思っているのだろうか?

私はよいゲーム・ライターならどちらもできると思っている。ゲームのルールブックやシナリオはそれらの方法で必要な情報を伝達し、なおかつ刺激的で面白い読み物であることができると私は思う。だが、私はまたこのバランスがD&Dというゲームの歴史があってこそある程度の成功を見せているだけで、普通ならどちらかへ極端に傾いてしまうといいたい。

私がゲームを始めたのは1978年ごろで、Original D&Dのセットだった。それらの本を持っていたのは友人だったが。私が最初に自分のものにした本はすべて第1版のものだった。私は出るはしから買い(当時はシナリオがほとんどだった)、とても楽しく読んだ。同じように私はたくさんゲームをプレイしたが、私のD&Dという趣味の経験には製品を読んで想像力を羽ばたかせていた部分も確かにある。シナリオを読んだとき、私はそうなるかもしれない壮大な物語を考えたり、私自身の物語を創造しようとしたことがある。あるいは、私は自分のキャンペーンにどのシナリオを使おうかと考えをめぐらせた。プレイヤーはどういう顔をするだろう? 私がプレイヤーならどう動くだろう? 私はどうやって面白そうだが複雑な連続した遭遇を動かすだろう? 私はこうしていたのが私ひとりでないことを確信している。

私は想像力を刺激するルールと助けになるいろいろな物はあらゆるD&D体験に不可欠だと、その読む楽しみを根拠に信じている。私はまたルールがとても慎重に意味が明瞭なものとして記述、開発、編集される必要があると信じている。小説ではない、それはゲームなのだ。デザイナがわかりやすく彼のルールを伝えていないなら、彼は自分の仕事をまっとうしていないのである。

両方を持つために、ゲーム・デザイナは生贄を捧げなければならない。たとえば、専門用語はルールを明確にすることを助けるが、語りの調子を非常に堅苦しくする。想像力に富んだ雰囲気を伝える文は特に何度も何度も探されそうなルールの場合、読みやすさを損なうことになる。

“読む楽しみ”と“正確さ”の選択は時と場合による。あるルールは単純で直接的に、他の人物、場所、あるいは事件の紹介ではよりくだけたり想像力を刺激するようにできる。

D&Dゲームに使う本は他のいかなる形の文書にも似ていない。プレイヤーズ・ハンドブックの場合、教本、索引、そして芸術でなければならない。誰かはプレイの方法を学ぶために座ってそれを読む。彼らは明瞭で時に慎重な説明を求めている。プレイしている間、そういう人たちは何度も繰り返しその本を参照する。また彼らはゲームを動かし続けるため、すべてにおいて直接的で完結なことを求める。彼らはまたその本をファンタジーのキャラクターと冒険を作る刺激を受けるためにも求める。その場合、彼らは索引、そして彼らをファンタジーの世界へ飛び立たせる想像力のとっかかりを必要としている。それら3つの面は通常まったく違う本として現われる。本がいちどに3つすべての役割を果たすよう求められる、実に困難なことだ。

さいわい、ゲーム・デザイナは困難を好む。