ネコぶんこ


2011年10月11日 一九七四年、ガイギャックスは、数人の仲間とともにTSR(Tactical Studies Rules)という会社を設立し、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を発売した。 編集

§ [DnD][4e][LnL] 『ともに生き、ひとり死ぬ(Live Together, Die Alone)』

伝説と伝承

モンテ・クック

このコラムで私は時々、ダンジョンズ&ドラゴンズというゲームの素晴らしい面を問いなおそうと思う。そしてそれを書くとき、私はひとつの版やその他に肩入れをしているわけではなく、ゲーム全体を見渡そうとしている。いい換えれば、私はゲームが生まれた日から、今まさにこの日までを論じている。

多くのものがこの線に乗って存在しているが、現在私が考えているものはD&Dのゲームにおけるチームワークの面である。ゲイリー・ガイギャックスが他界したとき、司祭は葬儀でこう言った――もう数年経っているので、それを私の言葉でいい換えれば――それは、彼のもっともよく知られた功績が他より少しでもたくさんの得点を得ようとするのではなく、プレイヤーが手をとりあって共通の目標へ進むゲームを作った、というものだった。ここには真実がある。

私はゲームでグループが力を合わせ、パワーや能力で他者を助け、お互いの長所と弱点を補完しあうさまを愛している。そうやって動くことを覚えたグループは単純に合計するよりも大きな力を発揮する。ゲームはグループ行動を前提にデザインされ、プレイヤーは異なる役割を果たすことでパズルのピースのようにかみ合うようになっている。あるクラスの弱点は、他の長所だ。それぞれにプレイで不可欠な役割がある。全員がそれを持っている。輝く瞬間を。

多くのクラスは昔から他者を助ける力を持っている。たとえば、クレリックを例に挙げれば、常に他のキャラクターを回復させる役割を持っていた。バード、彼らがゲームが生まれてしばらくしてから現われたとき、彼らは味方を鼓舞し、彼らにボーナスや助けを与えた。より近年になると、ウォーロードが他者の戦闘行為を助けるようになった。他のクラスも年月を通して似たような力を使ってきた。

一部の人たちはそれらのクラスを無視するか、それらにけちをつけさえした。彼らは他の誰かを支援するためにアクションを使うのはアクションの浪費だと主張する。彼らはゲームで自分の持ち時間すべてでダメージを増加させて主役になりたがっている――すばらしいことだ。より力とかっこよさを求めるその姿勢は確かに何も間違っていない。それはゲームの大きな要素だ。しかし“アクションを浪費するアクション”を批判する人たちは他者を助けることを能動的に楽しんでいる人たちがいることを理解していない。これはロールプレイヤー道を考えるにあたって興味深い断絶だ。(そしてもちろん、確かに、支援を与えることに価値があることを理解している人たちも、彼らのやり方でダメージを増加させたり面白いことをやるのが好きだ。)

他者を助けることはチームでの努力に関わる明確に有効な手段で、第一にそれは他のプレイヤーから感謝される。そうすることで他の人もそれに報いるよううながす。私は、たとえば、キャラクターがそれまでパーティにやってきた(そしてやり続ける)ことのためになど、人々が身を賭してクレリックを助けようとしている物語を1ダースは簡単に思いつく。これらを助ける、後押しするキャラクターはかなり頻繁にグループのかなめとなる。

ゲーム・デザインの観点では、他者を助けるために犠牲を必要とするクラスをいくつか作りたいという誘惑にかられる。しかし君が友を助けるために己を投げ出すことを楽しんでいる人たちの視点から見て、単純にそれらのオプションをより楽で実りあるものにするのはどうだろうか? クレリックやバードのクラスを誰でもプレイしたいように作るのではなく、クレリックやバードが好きな種類のプレイヤーが見て、彼らが本当にプレイしたがる面を強調することもできる。

しかし、そうしてから、君はあるクラスがないとゲームはできないと主張する人たちを見つける。このゲームの旧版では、たとえば、クレリックは最低1人必要なものだった。だが、必須のクラスを作成することと、みんなが幸せになるクラスを作成することには隔たりがある。事実、すべてのクラスはその観点――不可欠ではなく、彼らの持つ性質が有用である――で作成されるべきだ。

最後に、全員に彼らの味方を支援する機会を与えるのも一考に値するかもしれない。回復だけではなく、他者の行動を支援するアクションと能力で。たとえば、より効果のある“援護”や協調アクションのルールがあった場合、君はどうする。英雄的なキャラクターは危機にさらされた彼らの仲間の前に割って入りダメージを肩代わりできるかもしれない。君は実際、あらゆるクラスに彼らの友を助けるための独特ないくつかの方法を特別なオプションとして準備することもできる。

ゲームが生まれた頃から、多くのクラスはみんなで手を取りあっていくよう設計されてきた。重要なのは自立できない(それは適切なアイテムを持ったり君がいることで達成することができるが)ことではなく、チームワークでよりよくなることだ。ゲイリー自身、何度も記事、本、そしてモジュールでうまいプレイ――チームワークと協力――について、それこそが目的でもあり、ゲームが突きつけてくる辛い困難を克服するための鍵であると書いてきた。


2012年10月11日 歴史摂取過少 編集

§ [Promiscuus] 腹部と下腹部

今日は腹部とはへそのあたり、下腹部はさらにその下で股間よりは上の辺りだと生まれて二度目くらいに知った(忘れてた)ですぅ。


2013年10月11日 編集

§ [Promiscuus] 鳩ごっこ

今日は鳩の鳴きまねをしながら遊歩道を通って帰っていたら、ベンチにおじいさんや高校生カップルが座っていたの巻きだったですぅ。


2014年10月11日 編集

§ [DnD][3.5e] 世界が弱いのではなく諸君が強い

DnDの特に3.5eは特技や呪文、クラスなどの膨大なデータを投入して読み込むほどにPCを強くすることができるので『モンスター・マニュアル』に掲載されているクリーチャは盛り盛りのPC相手だと役者が足りないことが非常に多い(『モンスター・マニュアルIII』、『Monster Manual IV』、『Monster Manual V』などは割と頑張れる)のでDMをする方はデータで苦慮したり時間をかけたりすることが多いかもしれないですぅ。

私も一時期そういう状況に陥ってそこらへんの遭遇でもクリーチャの特技を組み替えたりしていたけど、今回の見出し通り、世界(MMの標準的なデータ)が弱いのではなくPCが強すぎるのだから楽勝は当然だと開き直り、力を入れたいクリーチャのデータや遭遇だけに手間隙を注ぎ込むことでDMをやる上での精神的負担やかける時間が減り、気が楽になったですぅ。

これはプレイヤにとってもPCがその世界でどれだけ強いかを表現するアピールタイムになるからお互いに悪くない考えだという感触があるので、データ作るのが面倒なマスタの方の参考になれば幸いですぅ。


2016年10月11日 編集

§ [DnD][5e] 『遭遇の作成(ENCOUNTER BUILDING)』

Unearthed Arcana

マイク・ミアルス――2016年10月10日

Unearthed Arcanaのこの版では、D&Dの遭遇作成ガイドラインの代替版を導入する。

この方法はDungeon Master's Guideの遭遇システムの基本と同じ計算を使うが、それをより柔軟なシステムを作るためにその計算にいくつかの調整をしている。これらのガイドラインは敵がキャラクターの特定の集団にあまり執念深くしたくない、ゲームで戦闘を強調したくて、キャラクターのレベルとモンスターの脅威度の関係性を理解したいDM向けだ。

君たちはこのシリーズで発表される素材を第5版プレイテストの第一波と同じように考えることができる。これらのゲームの仕組みは草案の形式なので、君たちのキャンペーンで使用可能であるがプレイテストとデザインの繰り返しで完全に調節されたものではない。これらはとても気まぐれで、不安定なものかもしれない。もし君たちがこれらを使うなら、どんな問題が起こっても裁定を下せる準備をしてくれ。これらはインクではなく、鉛筆で書かれている。これらの理由もあり、このコラムで提示される素材はD&D組織化プレイのイベントで合法的なものではない。

Unearthed Arcanaで発表される素材は私たちがいつか出版されるサプリメントに収録したいものから、私たちの自宅でやっているキャンペーンのハウス・ルールのうち共有してみたいものまで多岐にわたり、コア・システムのオプションから特定のセッティングの素材まである。一度それを公開すれば、君たちはそれがどのようにうまくいき、それを改善するために私たちができることがあるかを知るために君たちは私たちに接触することができる。

UNEARTHED ARCANA: ENCOUNTER BUILDING

今回のUAは遭遇の作成とそれへの味付けですぅ。