2014年05月26日 [長年日記]
§ [Promiscuus] 軍師という幻想
『太閤記』などの軍記ものを筆頭に、戦記ものや歴史もので武将の個人的な参謀としての軍師がなぜあそこまで大きな地位を占めているかは、その理由に主人公(この場合は武将を想定)との会話劇で話を進められるという講談師や小説家、作り手の都合を代入したら色々な部分がするりと収まりそうな気がしたですぅ。
この主人公の参謀、相棒としてのキャラ化された軍師による(主人公)-(軍師)-(その他大勢)の構図は、軍師がいない(主人公)-(その他大勢)の場合に必要なその他大勢それぞれの思惑を描写したり調整をしたり、他の武将と交渉して今後を決めたり、合議で合戦の下準備をする面倒なプロセスを大幅に省略できる上、それらを軍師の神算鬼謀にして活躍の機会も与えられる一挙両得のモデルになっているですぅ。
また、この構図は極論してしまうと主人公と軍師以外は話を進めるためにはほとんどいらなくなるので、その他大勢の武将は役割を与えられたときにだけ出てきて、そのキャラクタ性をアピールして舞台裏にさがればよくなり、より創作としてウケがいいデフォルメされた人物像をつけられるようになるですぅ。
かくのごとくバディものとして軍師の存在は非常に有効だけど、便利すぎるとそれはそれで作者の都合が透けて見えるとか鼻につくとか言われそうなので、ウケのいい人物像にしたり有能アピールを減らすなど、別のところで作者はがんばらないといけなくなりそうですぅ。