ネコぶんこ


2011年11月10日 コンピュータを相手にたった一人で何時間もコードを書いているものの、これから作ろうとしているゲームは本来が“社会的”なものだということを悟ったのだ。 [長年日記]

§ [Ludus] ロード・ブリティッシュの“究極の”ロール・プレイング・ゲームとは?

I was attempting to make the “Ultimate” Role Playing Game before they were called Ultima and will continue long after they have been called Ultima.

What is a Lord British “Ultimate” Role Playing Game? | Facebook

それはパーソナル・コンピュータ以前に始まった

私はそれらがウルティマと名づけられ、名づけられてから長い間ウルティマと呼ばれ続ける前から“究極の”ロール・プレイング・ゲームを作ろうとしていた。

私が“究極の”ロール・プレイング・ゲーム(究極のRPG)を創造する事業を始めたのは1974年、ハイ・スクール在学中のことだった。36年前だが昨日のことのようだ。1974年は私にとって縁起のよい年だった。1974年に義理の姉妹が、私が始めて読む事になるファンタジィ小説、『指輪物語』をくれて私はすぐさま没頭した。まもなく、そこから開放された私は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と巡りあった。私はすぐさま30〜100人からなる最初期で最大級のゲーム集団を築き上げ、毎週の金曜日と土曜日はヒューストンの親元で多くの部屋を使い、徹夜でゲームのセッションを行なった。私の学校での国語のレポートは、私のD&Dのキャンペーン、そして私のコンピュータ・ゲームの多くが舞台とした、私にとって初めての幻想世界ソーサリアを描いたファンタジィ小説になった。そして、数年前にパーソナル・コンピュータが登場した頃で、私はその時どのクラスも使っていない、孤独なコンピュータ・テレタイプの端末を見つけた。私はそれを使う教師や予定がないなら、それでプログラムの方法を学び、それを学年での成果として外国語の単位に組み込んでもらえるよう、私の学級を受け持っている教師を説得した。Beginners All-purpose Symbolic Instruction Code(BASIC)は、ほとんどの人にとって外国語だ! よろしい? 私が学校に許可を得た時、我が究極のRPGへの探求は本格的に始まった! 私の探求は今日まで続いている。私の第一世代のゲームは『D&D 1〜28』と名づけられた。これらは学校のテレタイプで書かれ、巻かれた紙テープに保存され、音響モデムを通して遠くのPDP-11で動いていた。それらは英数字をグラフィックとして使っていた。“A”はジャイアント・アント、“$”はまったく疑いようもなく宝箱で、テキスト・キャラクタは後にウルティマのような究極のRPG計画で遣われる、タイル・グラフィックの代わりだった。グラフィックのスタイルは究極のRPGにとって必須要素ではない。

ゲーム第一紀――ひとり用ゲーム

私にとって最初の商業ゲームは、最初の商業コンピュータ・ゲームのひとつでもある『Akalabeth』だった。Apple ][が登場し、とうとう私はリアルタイム描画する自分のゲームを作る事ができた! 野外の見下ろし型の場面ときちんと描かれた3Dダンジョンが繋がった。実はこのゲームの歴史は明らかに私がさきに書いた28作の“D&D”ゲームに根ざしたものだった。『Akalabeth』は売り物ではなかった。私はただ自分と友達のためにそれを作った。私が夏の間働いていたコンピュータランドという店の店長、ジョン・マイヤーは、私に200ドルという大金(ハイ・スクールの最上級生だった)を費やし店の壁で“販売”することを薦めた。

数週間後、カリフォルニア・パシフィックという会社が『Akalabeth』の初回版を手に入れ、彼らが全国的にゲームを売り出したいと私に電話をかけてきた! 会社の社長、アル・リマーズは私たちにリチャード・ギャリオットという作者の名前を外し、私より注目されるゲームのキャラクタ、ロード・ブリティッシュと入れ替える事を薦めてきた。これは結局、パッケージ上で奇抜に使われるペンネーム以上のものになった。ロード・ブリティッシュは私で、創造主でありゲームの中でプレイヤに世界を説明する住民だ。私はプレイヤのかたわらで経験に加わり共有した。あなたのかたわらで世界を共有することは、究極のRPGで大切なことである。

(豆知識――ソフトーク・マガジンは“現実のロード・ブリティッシュは誰だ”という企画を行ない、ロサンゼルスに住むベスという人物ではないかと予想した。ご存知の通りAs-LA-Beth――Akalabethだ!)

ウルティマI、II、III――ゲームと世界を作ることを学ぶ

『Akalabeth』の成功で、私は商業に向けた最初の仕事を始めようと決意を新たにした。私は最初に『Ultimatum』と名づけたゲームにかかった! 多くは『Akalabeth』のコードを元に築かれ、リチャード・ギャリオットの仮想世界創造技術で磨き続けられた。ゲームのマップは主に私が創造したD&Dの世界、ソーサリアを元にした。仕上がった時、私たちはそれを『ウルティマ』の名前で売り出した。タイル・グラフィックの世界は一般的になり、私のデザイン哲学ではモンスタよりも重要な、あなたが見たものすべてに触るなど何かが行なえる、ウルティマの細かな世界との相互作用のために役立つ道具となった。世界との細かな相互作用は究極のRPGにもっとも大切な部分のひとつだ。

トールキンとガイギャックスの大いなる仕事に学んだ者として、私は自分のもっとも初期の作品でさえも深い現実味を持たせようと没頭した、ただモンスタと戦い、財宝を集めてレベルを上げるというものを、ほとんどのRPG体験は相変わらず主軸としているものよりも! 完全な歴史、言語と記述するための文字さえも究極のRPGのために早くから決めてきた。文化史、独自の言語と記述法も究極のRPGの一部だ。

『ウルティマII』では時間旅行を導入した。過去から現在、そして未来へのゲームをプレイするには馴染みのある舞台が必要だったので、地球を『ウルティマII』の舞台にした。『ウルティマ』は恐竜に宇宙船という暴投をうまく受け止めた。『ウルティマIII』で私はソーサリアに戻った。究極のRPGは多くの世界や舞台で生きることができるからだ。

『ウルティマII』はジップロックの袋ではなく、箱入りで出荷された最も初期の商業ゲームのひとつでもある。カリフォルニア・パシフィックの解散後、多くの発売元は既に人気があるシリーズの次回作を発売することに興味を持っていた。しかし私が箱入りで布製の地図と小説風に書かれた説明書を要求すると、彼らの関心は急速に薄らいでいった。私はゲームの体験はあなたがその物を手にするところから始まっていると信じているため、タロー・カード、コイン、護符、魔法の石やその他色々な物をプレイヤが大きな現実味を持って新世界に没入できるようにつけている。ゲームを構成する物理的なものは仮想世界を深く豊かなものにする。

『ウルティマIII』は私たちが私自身の会社、オリジンから発売した最初のゲームだった。これは究極のRPG探求で、ひとつの大きなきっかけとなった。私は始めてプレイヤ、あなたから直接手紙を受け取った。私たちは関係を築き始めたのだ。私はあなたが何を好きで、何が嫌いか、そして、あるいは合わなかったり、私があるデザインの中で意図を見失っていたことさえ知ることができた。これは私の仕事の内容と意味について、深い個人的な内省を与えてくれた。

このフィードバックと批評は私が究極のRPGを作り続ける旅路において重要で、ソーシャル・メディア、展示会での対面、そして私が愛する……紙の郵便を通じ、みなさんと直接繋がっていることで私も楽しみ続けることができる。『ウルティマIII』から私のゲームでは、終わらせた時に「汝の偉業をロード・ブリティッシュに報告せよ」と表示される。そして彼らがそうした時、私はしばしばゲーム内で秘密の言葉を使い、それぞれに対して個人的に応えようとしてきた! その対話を続けていこう! 遊び手と繋がっていることは、究極のRPGを作るにあたって不可欠なものだ。

ウルティマIV、V、VI――英雄の旅路:
支払い、徳そして社会問題でプレイヤの行ないを反映する

私は『ウルティマIV』にかつての作品よりも映画、本や他のゲームに埋もれない独特な世界を築こうと強く心に決めて取り掛かった。こうして最初のブリタニアは形を得て誕生した。社会と徳の文脈をゲームの物語に盛り込んだように、独創的な世界を創造することは私のデザインで重要な要素となった。私は物語の創造をジョーゼフ・キャンベルの著作で学んだ。細かで現実的な世界をいきいきと遊ぶための徳と社会問題の物語は、私の究極のRPGにおける中心の要素になった。

『ウルティマV、VI』もこの手法を続けた。プレイヤに彼らが行なったことの結果を返すのは、一本道の物語でも双方向型の物語でも同じくらいに重要だ。それは読者やプレイヤの心を深く打つ、説得力あるものでなければならない! あなた自身の鏡となることは究極のRPGに不可欠なことだ。

地球から私の世界への門をよく使うが――私はこれを『ナルニア国物語』から借用した――これは『ウルティマIV』から重要なものになった。ロール・プレイング・ゲームのプレイの王道として『蛮人コナン』はすばらしいが、あなたがだれだけコナンの信条を我がものにしているか、あなたは試されて成功しなければならない。『グランド・セフト・オート』ではあなたがどれほどいかす悪漢なのか審査される。私の物語はあなたという個人が成長する物語を目指したので、他の誰でもなく、あなたがあなたであることが重要だった。あなたが地球から新世界へ旅するという物語は、究極のRPGに不可欠なことだ。

ウルティマVII〜IX――独特かつ内面への物語

『ウルティマVII』で実は始めて、私は構想と計画が現在作っているゲームから続編へ繋がるようにして、始めて一作のゲームでは収まらないキャラクタと物語を計画した。『ウルティマVII』でブリタニアで物語を掘り下げ、『ウルティマVIII』でペイガンという新しい土地を探検し、そして私たちは『ウルティマIX』でブリタニアに戻って三部の三部作を終わらせた。

これらのゲームはそれぞれ『ウルティマIV』から、私は使い古されしばしば剽窃していたオークやエルフなど標準的なRPGの要素を取り除き、代わりに完全に現実味がある私の世界のために、深い歴史を持ち一貫したと感じられるものを新しく吟味して創造した。新たな現実性によって説明できないものはすべて取り除かれた。そして新しい道具は完全に吟味されて正当化された。独創的で深く一貫した世界は究極のRPGで非常に不可欠な部分だ。

魔法物語やSFで非常によくあるが、下手な作家は最終的な難関をぎりぎりになって発見される謎の不思議な力で解決する。私が嫌うことを学んだアドベンチャ・ゲームと同じくらいこれは非常によくない。それらのゲームでは、雪男の顔にクリーム・パイをぶつけて逃げ出せるなどおかしいとデザイナが考えているとあなたが思いつかない限り、ゲームを解くことはできない。だからウルティマの中期から、私は擬似的な科学と秘薬や言語学を交えた魔法の概念で内部の一貫性を再デザインした。論理的に作られた一貫性のある内部構造を持った虚構は究極のRPGに不可欠だ。

ゲーム第二紀――多人数同時参加

『ウルティマIII』から、ウルティマは常に擬似的な多人数デザインとしてあなたに人工のノン・プレイヤ・キャラクタ(NPC)のパーティをという体験を“共有”する友達を提供してきた。(豆知識:『ウルティマIII』の仮題は『ウルティマ3D/4P』だった。それは3Dのダンジョンを、4人のプレイヤがそれぞれひとりづつキーボードを受け持つ本物の人間が操作するパーティでプレイするものだった。)真の多人数による操作性と豊かで細やかでさまざまに関連した役割には『ウルティマ・オンライン』が大いに貢献した! 多人数型はゲームのプレイに大きな恩恵と人気を与えるが、物語を紡ぐという面では大きな挑戦だった。多人数型は究極のRPGにとって望ましく非常に挑戦的だ。

コンピュータの誕生以来多人数型ゲームは存在し、マルチ・ユーザ・ダンジョン(MUDs)には長い歴史があるし、AOLのダイヤル・アップ・サービスと掲示板(BBS)ではいくつもの多人数型ファンタジィ・ゲームが行なわれていた、『ウルティマ・オンライン』は多人数同時参加ゲーム時代の定番と認められている最初の大成功例だ。

私は多くの狼狽やその他の事を最初期の重要な製作者から学び、社員は頻繁に私のチームに参加してきた、私はしばしばオンライン・ゲームの父と呼ばれる。私はこの称号に異議があるが、非常に誇りに思っている!

過去十年間、ゲーム業界の成長はMMO業界にあった。これが大きな利益を生む事は、それはすばらしく創造的な挑戦でもあった。多くのプレイヤはMMO時代に物語が退行したことを嘆く、彼らはもう自分と全世界という究極の個人的成功のために自分だけの旅をする唯一の英雄ではなくなったのだ。それでも私は、究極のRPGはMMOの上で実現できることを確信している。

あなたに唯一独自の存在だと感じさせる大きな挑戦がある一方、MMOはプレイヤとプレイヤを繋げる力がひとり用ゲームよりはるかに勝っている。私はこの結びつきの深さをゲームで出逢ったプレイヤが実生活で結婚したり、現実世界で亡くなった人が決して対面しなかったであろう彼らのオンラインの友人からも非常に哀悼され、称えられたことからも実感している。現実で向き合い交流できる力は、究極のRPGの探求で簡単に無視されてはいけない。

多くのMMOは、多くのひとり用ゲームがそうであるように、究極のRPGではなく、それらはレベル上げを美しいがありていのファンタジィやサイファイの舞台でやるものになった。売上はすばらしいが、究極のRPGはこれらの例からは遠く離れている。

私はもうUOの指揮を行なっていないので、そこから私がいなくなってからのことを見よう。エルフと忍者がゲームに加えられたが、これは私が念入りに排除したものだ。これはほんの小さな出来事と理由の例示で、ウルティマはリチャード・ギャリオットから離れて流されているが、私はちっともウルティマから離れて流れたことはない。使い古され、無関係かつ再利用されたRPGの要素は我が究極のRPGの本質ではない。

私には明らかなことだが、少なくとも私ことリチャード・ギャリオットは、究極のウルティマにとって欠かせない存在だ。おそらくはある日、十年以上前に私をEAから追放した人たちはずっと前に退社し、私たちは彼らが失敗した年月をとりなし、契約をやり直すことができるだろうとEAは認めている。リチャード・ギャリオットは究極のウルティマに欠かせない存在である!

今、私はかつてのようにオールド・ブリタニアの世界を使いたい。今のところはエレクトロニック・アーツの幹部が共同開発の妥当性を認めるまで(いくつかのことは、プレイヤからの圧力が助けになる)、私はニュー・ブリタニアを作りなおす計画を使わねばならない。

それは私にはいくつかより多くの作業が必要で(そしてあなたはその新世界を見るために、より長く待たなければならない)、実際、私は20歳からゲーム開発を35年続けて住んできた世界を、多くの新世界に作りなおして新たな現実味を与える挑戦を楽しみにしている。

私は『Tabula Rasa』が究極のRPGであるように努力したと主張する。ゲームに新世界や新しい理想を設定し、大きな理想に応えようとした。いくつかの分野で私たちには時間が足りなかったこともあるが、私は間に合いさえすれば私たちの目標を見ることができたと思っている。それには多くのウルティマがそうだったように、リアルタイム戦闘が盛り込まれていた。また、それは多くのウルティマの未来像でもあった。前にもいったように私は多くのプレイスタイルと設定は究極のRPGに取って不可欠だと思う。

ゲーム第三紀――ソーシャルとモバイルのゲーム

今、私の新しい会社Portalariumには、ウルティマを究極のRPGとして作るための才能と技術を持つ人たちが集結し、私たちは無から新しい世界を、内部が首尾一貫した“ニュー・ブリタニア”の創造へ向かっている。私たちは究極のRPGとして非常に高い目標を持った。他が恐れ、失敗したところへ向かうことを究極のRPGは恐れない。

非常に内面的な物語だった『ウルティマIV: 聖者への道』を作っていた年に私が成功すると思っていた人はほんの少しだった。わずかな人々は私たちがデザインし始めた“MUltima”をその時信じてくれて、MMOの世界への扉を開いた。多くの伝統的ゲーマは重要度や深度から新しいソーシャルやモバイル・ゲームの成長とゲームへの影響を心配している。彼らはこの時代に彼らが期待する究極のRPG体験が提供されるか疑問を抱いている。だが、この新時代は究極のRPGの価値を増す強力な新しい道具を明らかにした。

たとえば、『ウルティマ・オンライン』のふたつのバージョンを仮定してみる。バージョンAは発売されたバージョン。あなたは車で店まで行ってそれを50ドルで買い、大急ぎで運転して家に帰り、長い時間をかけてインストールし、月額10ドルちょっとで契約し、キャラクタを作成し、仮想世界に降り立つまでおよそ4時間かかり、あなたはそれがすばらしいと知るまで長い間ゲームを探検しなければならない。では同じゲームのバージョンBを想像して欲しい。あなたは友達からリンクを受け取り、それをクリックする。あなたはすぐに無料でプレイを始める。ゲームのインストールと導入はあなたが数分でゲームを理解するように書かれていて……時間はかからない。あなたは支払う価値があると知るまでたっぷりプレイした後で、あなたはふさわしい支払い方法を提示される。私はこれらが実際に優れたゲームで優れたゲームの体験が得られるこれ以外同じゲームなら、バージョンBが完全に有利だと考えている。

この驚くほど重要な新要素はこの業界の初期移住者数名によって発見された。新しく強力な非同期の道具は現実世界の友達同士が無理に毎日同時にオンラインになったり、成長速度が落ちて最終的に友達とプレイできなくなる危険を冒すことなく、お互い協力して一緒に“プレイ”できる。前金で大きな出費をする代わりに、彼らが買う前にプレイヤに体験させることは優れており、無料で遊びたい人たちに、あなたが続けて無料で遊ばせることの見返りに他の人をゲームに呼ぶのを手伝わせるのもよいだろう。適度な社会的道具は究極のRPGと共存できる。

それと、伝統的ゲーマは『Ville(訳註:いわゆる“村ゲ”)』のクローンを見つけた時、勇気付けられて欲しい! 現在人気であることではなく、むしろこの新しい時代に彼らが強みを持っていることに! 偉大なゲームは偉大な映画のように、大衆が近づきがたい必要はない。偉大な物語と奥深さは苦行や費用などの多大な先行投資によって得られる必要はない。無料でのプレイはゲームが広告とあなたの友達へのスパムだらけであることを意味しない。しかし、支払う気がなかったり支払えない人たちに、開発者が自分たちのためにプレイヤを見つけるよう彼らに頼むことは不当ではない。この新世代に生まれる偉大なゲームは、伝統的プレイヤと新規顧客、両者に利益をもたらす。私たちはそういうゲームを主導するメーカになるつもりだ。

私は新世界のデザインと私たちの仕事をいつ公開して議論するかについて討論を続けている。私はいくつかに新しい方向へ向け、あなたの前に想像もつかないくらい新しいものを完全に現実感を持たせて披露したい。別の角度では、この世界が最終的にあなたの世界となり、プレイヤとしての参加は私の製作を助けると同時に、疑いようもない深みが準備できていることを伝えられるだろう。そう、私たちには見通しがある。秘密と共有の混合が歩くのにふさわしい道だ。

私が話して大丈夫だと思うのは次のようなことだ。ロード・ブリティッシュの究極のロール・プレイング・ゲームは、『Akalabeth』と呼ばれるかもしれないし『New Britannia』と呼ばれるかもしれないし『その名前を私はまだ設定を話せないように私は考えに考えを重ねて私がそれを確信できるまでは少なくとも秘密にしておかなければならない』と呼ばれるかもしれないが、究極のRPGだ。あなたはカスタマイズしたアバタールの家を持ち、美しく現実化された非常に双方向性の高い仮想世界を現実的な役割を深くプレイする。それはプレイヤへ反映する徳と英雄の旅路だ。それは最高の同期と非同期の特徴を持つ。物語はあなたが地球から新世界へやって来ることを助ける。私はゲームのプレイヤが使える地図、コインなどのチケットを作りたい。

しかし、理解して欲しい事もある。ウルティマの細部をすべて創造するのに25年かかった。新世界はより小さく、より薄くより軽く始まる。それにはいくつか、あるいはより多くのMMOにない特徴が少しある。私がたった今話した物語の重要な要素は開始と同時になくなっているかもしれない。しかし心配はない、これは私たちが率いていることだから。素晴らしい新世界で私たちとプレイして欲しい。私たちの育成を手助けして欲しい。あなたがプレイした年にあなたが何を学んだか私たちに教えて欲しい。ゲームに不慣れなあなたの新しい友達を招いて欲しい。彼らは新鮮な精神で何をすべきかという新しい考えを与えてくれる。彼らは恐らく悪い説明、悪いインタフェイスや膨大な前払い金を大目に見ないだろうし、それはよいことだ! 私たちは教え、同時に彼らから学ぶ。

私はあなたから“究極の”ロール・プレイング・ゲームが支援され創造への参加があることを望みます!

感謝を、

ロード・ブリティッシュ
ことリチャード・ギャリオット・デ・カイユ博士

最近ソーシャルゲームで動いているという噂のあったロード・ブリティッシュが、Facebookに投稿した文章を翻訳しましたぁ。

ゲームの開発や歴史を振り返りながら、ゲームにとって大切なものやこれからの展望を語るという内容で、示唆に富んだものとなっているですぅ。

Amazon.co.jpで買えるUO以外のウルティマは『ウルティマIX』、『ウルティマコンプリート』、『ウルティマコレクション』みたいだけど、IX以外プレミア価格だったですぅ。