2012年01月12日 ただ、自分たちのことを「頭がよく、独創的で、世界に向かって何かを売り出すという遊びができる人種」ということだけはわかっていた。 [長年日記]
§ [DnD] 『D&Dの霊:過去(The Ghosts of D&D: Past)』
グレッグ・チトー|2011年12月26日、午後11時Sitting around a table pretending to be human fighters and elven mages delving through dungeons in search of loot and fame hasn't been a favorite pastime for fantasy fans for all that long. The first tabletop RPG was released a mere 37 years ago, in 1974, but there are now more roleplaying games on store shelves than ever before, - covering every niche of geek culture from the superheroes of Mutants & Masterminds to character-based "story-games," to space exploration in Traveler, to games that meld all genres like Rifts. Through it all though, there was one game to rule them all - Dungeons & Dragons - and even though the rules were revised over the years, the majority of the fantasy-gaming audience have used whatever edition of D&D was currently available.
テーブルを囲み、財宝や栄光を求めてダンジョンへ向かう人間の戦士やエルフの魔法使いを演じるような余暇の楽しみは、長い間ファンタジー・ファンに存在しなかった。最初のテーブルトークRPGが発売されたのは1974年、ほんの37年前のことだが、現在は店の棚にかつてないほどロールプレイング・ゲーム――スーパーヒーローのキャラクターを基本にした“物語ゲーム”の『Mutants & Masterminds』、『トラベラー』は宇宙探検、あらゆるジャンルをごった煮にした『Rifts』というゲームもある――が並び、ほとんどのニッチなおたく趣味を範囲に入れている。しかし、それらすべてはひとつのゲーム――『ダンジョンズ&ドラゴンズ』――が支配しており、たとえルールが長年改定され続けても、ファンタジーゲームの愛好家は現在までに出版されたさまざまな版のD&Dを使ってきた。
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の公式に対する信頼は史上最低となった。プレイヤーはさまざまな集団に分裂し、敵意を込めて彼らが信仰する“真の”D&Dを主張している。
これは2008年、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の第4版が発売された時に変わった。呪文の記憶や属性のような多くのゲームを形作ってきたものが、現代化と合理化の名の下に切り捨てられた。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の公式に対する信頼は史上最低となった。掲示板で、コンベンションや地元のゲーム店で、プレイヤーはさまざまな集団に分裂し、敵意を込めて彼らが信仰する“真の”D&Dを主張している。
RPG業界の現状を理解するためには未来に目を向ける前に、D&Dの過去と現在に起こった重大事件を理解することが必要だ。『クリスマス・キャロル』のエベネーザ・スクルージのように、この趣味がどこから来たのかをよりよく理解するため、RPG史の霊に今日の卓上ゲーム業界と未来の顔を案内してもらおう。
過去のD&Dの霊
はじめ、ルールは1つだけだった。デイブ・アーンソンがゲイリー・ガイギャックスのウォー・ゲーム『Chainmail』を、キャラクターの小集団がモンスターと戦うためにルールを拡張したのだ。ガイギャックスはそれらの変更を取り込んで『Dungeons & Dragons』と呼ばれる白い箱入りのセットを作成した。彼は後にルールを改定して、1978年にそれらを彼の会社であるTSRから『Advanced Dungeons & Dragons』として出版した。TSRはD&Dのために出版された追加要素との整合性を取るためにコア・ルールにかなり変更を加え、新しいAD&Dの第2版を1989年に出版した――この動きはいくらかのプレイヤーに歓迎されたが、他の多くはさめてしまった。1990年代の迷走はTSRを倒産寸前に追い込んだが、しかし、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストが介入してゲームは生き残り、2000年にはD&Dの版がもうひとつ出版された。この新版は売り上げを伸ばすだけではなく、旧版の問題を多く解決した。2003年には、第3.5版と呼ばれる若干の改善を加えたもうひとつの版が出版され、そして2008年にはもっとも愛されたロールプレイング・ゲームはさらにひとつ版を重ねた。この時までにD&Dは多くの人が手を加えて多くの想像力を取り入れ、第4版のプレイ感覚はガイギャックスとアーンソンが35年前に創造したものとはほとんど似つかないものになった。
彼は出版社のCEOよりゲーム・デザイナに向いていたため、ガイギャックスにはゲームとの困った関係があった。80年代、彼はもっぱら『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のアニメを製作することに心奪われ、TSR内の派閥は彼から会社の指揮権を奪った。残念なことに、TSRはガイギャックスを欠いた出版がうまくいかず、D&Dの出版元が倒産の危機に瀕していた1996年、『マジック・ザ・ギャザリング』の権利者――ウィザーズ・オブ・ザ・コーストがTSRを買収した。もはや彼はゲームの権利を所有していないにも関わらず、ガイギャックスは趣味に打ち込み、2008年にみまかる直前まで可能ならばいつでも掲示板に書き込み、コンベンションに出席していた。
1999年にウィザーズ・オブ・ザ・コーストがおもちゃ会社のハスブロに買収された時には、既にテーブルトークRPGの多様な趣味のグループを結びつけるために第3版を作成する計画が存在した。「諸君の顧客はAD&D第1版、AD&D第2版、5種類以上のストーリーテラー・ゲーム、FASAのゲーム数種類、『ガープス』、『クトゥルフ神話TRPG』、『Deadlands』、『Legend of the Five Rings』をプレイする人々だ」1997年から2001年までウィザーズ・オブ・ザ・コーストの卓上ゲーム部門、副責任者のライアン・ダンシーは言った。「パーセンテージでいえば、第2版が30%、残りすべてで70%ほどだ」
「我々が開発している第3版最大の競争相手はAD&Dの第1版と第2版で、他社のゲーム・システムでないことは明らかだ」
「我々が開発している第3版最大の競争相手はAD&Dの第1版と第2版で、他社のゲーム・システムでないことは明らかだ」ダンシーは続ける。「第2版が苦戦したのは、第1版のプレイヤーが十分に移行しなかったからだというのは明らかだ」
これらの集団すべてを同じゲームの傘下に参集させるため、ダンシーには現在のロールプレイング市場へ至る流れを最終的に決定づけることになるイカれた考えがあった。「私はライアン・ダンシーがRPG部門のR&D全員を召集した会議へ向かうのを覚えているよ」とはD&D第3版クリエイティヴ・ディレクターのひとり、マイク・セリンカーである。「ライアンと彼のチームは、まるでリンチをするための材料を見つけたといわんばかりの勢いで、羊たちの前に出てきたんだ。ライアンはコンピュータのオープン・ソース運動や書籍出版の未来などについて話し始め、ついに本題へ切り込んだ。『つまり』彼は続けた『我々はD&Dのシステムを無料で開放することを考えている。ほぼ誰でも我々のゲームと文章を使ってさまざまなものを出版できる。彼らはそれを複製したり印刷してもいい。他のゲーム出版社は我々のルールを使い、彼らの設定を再出版することができる。君たちはどう思う?』」
「部屋は水を打ったようだった。そして、私は部屋の片隅で『私はそれがこれまで聞いた中でもっとも素晴らしいことだと思う』と言ったよ」セリンカーはその後激しい議論が起こったが、結局は全員が「このイカれた考えに賛成したのさ」と振り返る。オープン・ゲーミング・ライセンス(OGL)はこの部屋で生まれ、権利文は基本的に誰にでもD&Dのコアとなるシステムを使ったコンテンツを作成することを許した、非常にゆるい著作権の規約となった。
「私たちは(第2版と第1版の断絶を)繰り返したくなかった、(不可能な)100%の乗り換えを目標に挑戦していた」とダンシーは言う。「OGLはそれを可能にする――ウィザーズが時間や方向性の違いから実現できないニッチを、何百人もの開発者が満たしてくれ、第1版や第2版のプレイヤーが望むコンテンツも多く含む――大きな要素だった」
はたして2000年の第3版に加えて出版されたOGLは、RPG業界がかつてなく成長する呼び水となった。OGLは簡単にD&Dのようなヒット・ポイント、何百もの呪文とモンスターなどのルールを使える上――公式にOGLを使用したD&D互換商品が――お墨付きを与えられてゲーム店の棚に並んだのだ。
「D&Dのコア部分はほとんどオープン・ゲーム・ライセンスで発表された。WotCはビホルダーやマインド・フレイヤーのようなモンスターいくつかは手元に残したが、D&Dの中枢となるほとんどの部分は誰でも合法的に二次使用が可能だった」とGreen Ronin Publishingの社長、クリス・プラマスは言う。Green Ronin社はスーパーヒーロー・ゲームの『Mutants & Masterminds』など既存のRPGすべてのOGL版を作成し、かなりの利益を得た。
OGLとD&D第3版は確かに成功した。「(第3版は)初期に第1版が出版されてからもっとも成功したRPGだった」とダンシーは語る。「コア・ルールはAD&D第2版より多く売れた。私は成功の理由がOGLとOGLが生んだプレイヤーのネットワークによる支援が成功の要因だと考えている。『Comics & Games Retailer』誌が集計した、2007年の売り上げ第10位までのRPGでは5作がウィザーズ・オブ・ザ・コーストの出版物かOGLを使用したものだった。さらに、OGLはより小規模な会社や個人さえ、彼らの作品を世に問えるようにした大転換だ。なぜならOGLは、システムの細かいところを再発明せず、新しいアドベンチャー、ダンジョン、そしてキャラクターを創造することにゲーマーを集中させるからだ。
もちろん、OGLで作成されたすべてのモジュールやサプリメントが一定の品質や輝きを持っているというわけではなかった。「多くの卸業者と小売業者はすべてのd20商品が似た品質だと仮定していた」とは第4版のデザイン・チーム責任者をビル・スラヴィセックとロブ・ハインソーがデザイン&デベロップメント・マネージャーとして引き継ぐ前に担当していたアンディ・コリンズである。「表紙にちょっとでもヴァンパイアが出ていたら、どんな本も『Twilight』なみに売れると考えるなんてちょっとおかしいけど、あの頃はそんな時代だったんだ」いくつかの“公式”D&Dの表示がある新製品もブームに乗って数を増し、この業界はにわかに何百もの新製品でホビー・ストアの棚を占有した。
「ウィザーズは1億ドルのブランド――『マジック・ザ・ギャザリング』――を擁している。ハズブロはこれをふたつにしようと、D&Dをその規模まで強化しようとした」
あらゆるブームには翳りが訪れる。2000年代初期から供給過剰だったd20製品の在庫は、それらが助けてきた『プレイヤーズ・ハンドブック』のような、D&Dのコア製品ごと店の棚の負担になり始めた。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストは第3版のルールと製品展開では大全シリーズのようなものを好んでいたが、『Psionics』のようにわずかな例外を除き、それらがオープン・ソースのコンテンツとして発売されたことは無く、他社がOGLで開発した素材をD&Dの公式製品へ取り込むことも無かった。
「D&Dはその二次的な書籍――たとえばクラス本、設定本、あるいは他のルール・サプリメント――の売り上げに支えられている。それらがどんどん増える(ゲームのこれまで出たどの版よりずっと)ようになり、顧客は限界へじりじり近づいていった」D&D第3版時代にクリエイティヴ・ディレクターだった、エド・スタークはそう言う。「そして、消費者はそれぞれ新刊を全部買い始めると、次は彼らが何をコレクションに加えるか厳選する段階になる。売り上げは落ち――本の品質さえ保てればそうでもないが――知識の蓄積と関連商品の新規需要をもたらすため“リセット”が必要になる」
ゲームのファンにとって第3版からそれをいくぶん改定した第3.5版が衝撃的だったのと同じくらい、市場からの圧力は高まってきた。最初はハズブロが持つ資源の助けを借りていたウィザーズ・オブ・ザ・コーストは、D&Dによって利益を得ることを迫られたのである。2000年代半ば「ハズブロはもっとも成功したブランドを中心に内部改革を行なった」とダンシーは言う。「年あたり5000万ドルから1億ドルの収益をあげたブランドは“重要”だと判断され、より少ないブランドは放置されそうになった。放置された部門の人員は減らされる。それらは凍結されたり、売られることもあった」
悲しむべきは、D&Dが危険な状態だったということだ。「ウィザーズは1億ドルのブランド――『マジック・ザ・ギャザリング』――を擁している。ハズブロはこれをふたつにしようと、D&Dをその規模まで強化しようとした」ダンシーは続けた。「D&Dは年あたり5000万ドルに満たない事業で、現状のままではそれを超えられそうになかった。ウィザーズのRPG部門で働く人たちの反応も理解できるだろう――彼らは自分たちの職に危機感を覚えたのだ」
ロールプレイング・ゲームとD&Dをより大きな事業に成長させたいという目標はすばらしいものだろうが、ウィザーズの経営陣はそれをどうするかで割れた。2004年の『World of Warcraft』のようなファンタジーMMOの大成功は、ファンタジーRPGの潜在顧客を示唆していた。彼らを満足させるもっとも愛されたゲームの新版は、D&Dプレイヤーの増加を新しい段階へ向かわせるかもしれない。OGLとその成功についても会議で熱く議論されたが、実行された当時の管理職――ダンシーに、元ウィザーズCEOのピーター・アドキンソン――は既に社を去っていた。経営陣は社が時間と資金を投じて新進気鋭のゲーム・デザイナに新版のルールを開発させたので、コンテンツを無料開放することに対して懐疑的になった。ファンにとっても、D&Dのルールがアップデートされるのは興奮すると思われたが、OGLと第3版が信奉者を結びつけたのとは違い、2008年にウィザーズの手から放たれたD&D第4版はロールプレインク・ゲーマーを真っ二つに分裂させた。
かつて起こったことは示され、連載の次回で我々はD&Dの現在の霊と出逢い、RPG業界の現状を知ることになる。
ゲーム情報サイト『The Escapist』に掲載されたDnDの歴史を辿る連載『The State of D&D』の翻訳ですぅ。第一回となるこの“Past”では4e発表直後くらいまでの歴史を大まかにまとめてあり、その中でもどういう考えで3e(とOGL)が設計されてヒットを飛ばし、どんな問題点が発生したかにスポットがあてられているですぅ。
北米での市場とファンの動きを中心に見ている内容なので日本とはあまり関係が無いけど、当事者への取材も交えたなかなか読ませる記事になっていますぅ。
3eで仕掛けられたOGL戦略が爆発して出せば売れる時期が到来し、市場が飽和したところでかかった3.5eの“リセット”、そしてハズブロの戦略に応じる形での4e開発開始、というところで、連載は次回の“Present”へ続くですぅ。
最後に捕捉しておくと、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストは第3版のルールと製品展開では大全シリーズのようなものを好んでいたが、『Psionics』のようにわずかな例外を除き、それらがオープン・ソースのコンテンツとして発売されたことは無く、他社がOGLで開発した素材をD&Dの公式製品へ取り込むことも無かった。
の“大全シリーズ”は、おそらく3e時代のclass book、『Psionics』は3eのサイオニック本、『Psionics Handbook』ですぅ。