ネコぶんこ


2012年01月31日 「私たちの誰もが、コンピュータなんてもののせいで過去の生活を捨ててしまっていた。みんなが一緒に行動していたのは、全員が同じ種類のばかな人間だったからだよ」 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『版の統合、その1(Uniting the Editions, Part 1)』

伝説と伝承

モンテ・クック

前回のコラムで、私は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の新世代が目指すものはすべての版を統合することだと書いた。反響を見るに、これはもっとも重要なもののひとつで、議論になる話題である。それではより深くそれを掘り下げてみよう。

まず、なぜそれがわれわれの目的なのか? これには多くの理由がある。だが、真っ先にいえるのは、君が『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のどの版をプレイしていても、君はD&Dプレイヤーであり“連環の一員”であるということだ。版同士が争う日々もD&Dファンが派閥に分割された日々は終わる。あるいは少なくとも、彼らはそうなるべきだ。(事実、彼らはこれまで何も始めていなかった。)率直にいわせてもらおう、どんな原因であろうとも、D&Dのコミュニティを分裂させることは愚かである。みんなが共通して望みはするがみんな違うものを待っている。

そのルール・システムはゲーム・デザイナやゲーム会社が望むスタイルよりは、万人が彼らの望むスタイルでプレイでき、そうすることでより意味をなす。デザイナである私自身、君にある特定の方法でD&Dをプレイさせることが私の仕事ではないことを理解している。私の仕事は君が望むプレイを行なったり、そこから出ようとした時に使う道具を準備することだ。そしてそれは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の新世代がそうあるはずのものだ。D&Dに間違ったプレイは無い。

それではさまざまな版の“スタイル”でプレイするのは何を意味するのだろう? それは複雑な問題だ。それには、私と同僚のデザイナが異なる版を吟味し、それぞれの精髄を抽出することが必要だった。たとえば、“エルフ”が誰かが楽しくプレイしたOriginal D&D(1974年)あるいはBasic D&Dのクラスのままであることは重要だろうか? 私は違うと主張した。そのプレイヤーにとってはるかに重要なことは力強いダンジョン・マスターに多くを負う開かれたシステムと、多くの探索と速い戦闘を可能にしていた簡単なメカニクスで、名前はわずかな要素だ。

それと比べれば、AD&D(ここで指すのは1eである)はより詳細なメカニクスでテーブルごとの統一的なプレイ経験を創造した。これはより“リアリズム”、あるいはより正確に表現するなら、“シミュレーション”が注目されたということだ。しかし、そのゲームは現在の標準的なものよりはかなり単純で、何かをやるのも速かった。ミニチュアと戦術的なプレイのためのオプションも存在したが、多くの1eファンはそれらを使用しなかった。(同様に、非常に高度なシミュレーションとしてweapon speedsやweapon vs. armor tableがあったが、ほとんどの人はそれらも使用しなかった。)1eファン――もちろん私はここで一般化しすぎている――の求めるものは多くのBD&Dの恋人が求めるものと多くが共通しているが、あといくつかのオプションともう少しのシミュレーションが必要だ。

そして訪れた2eのルールは若干の変更が加わっただけだが、ゲームプレイのスタイル面で重大な変更を行なった。Player's Handbookはほとんど変わらなかったが、Dungeon Master's Guideはそうなった。私たちは最初に“それはすべて物語のために。”というような文句を目にした。世界創造は冒険のデザインより重要になった。OD&DであるDMが他人に話し始めるなら、「それじゃあ君に私のダンジョンについての話をしよう」、2e時代になると、DMは他人にこう話すだろう、「それじゃあ君に私の世界の話をしよう」。システムに多くのサプリメントが開発されたので、シミュレーションとゲーム・バランスは物語、設定、そして特異なキャラクターの後ろに隠れた。Kitとnon weapon proficienciesは、大きな新しい(ように見える)変化で、キャラクター作成の興味深い方法を公開した。これらは大まかに、2eのプレイヤーが神話的物語とよく練りこまれたキャラクターを作成することを楽しんでいることを示唆している。

3eが出現すると、多くの重要なルール変更が推し進められ、ゲームのデザインには再びシミュレーションが受け入れられ、そしてバランスはより重要なものになった。キャラクターの作成はより多くのものに焦点が当てられ、すべての演出にはメカニクスからの後押しがあった。さまざまな行動やオプションがはっきりとメカニズムに規定されて標準化されたため、ダンジョン・マスターの責任は少なくなった。戦闘はより複雑化し、より面白くなり、それは遅く展開した。ミニチュアは重要なものになった。3eのファンが望むのは彼らのキャラクターを改造するより多くのオプション――技能、特技、そしてもっと――と、高度に精密化された戦術的な戦闘プレイを面白くする能力である。

4eの登場で、ゲームはまたしても根本的な変化を経験した。今回のもっとも重大な変化は、キャラクター・クラスの表現方法だった。バランスと標準化はより重要となり、戦闘はより複雑となり、そして映画的な行動とレベルごとの英雄的なパワーに焦点が当てられた。キャラクターのパワーは誰もが常に何か面白く力強いことを毎ラウンド行なえることを確実にした。DMの責任はより軽くなり、彼女の仕事はNPCおよびモンスターのデザインにおける面白い革新によってより楽なものになった。ミニチュアとマス目は必須となった。4eのプレイヤーはよりバランスのとれた戦術的なプレイを好み、彼らはキャラクターのためにさらに面白く直接的なオプションを望む。その上で、DMが簡単で素早く準備できるのは必須だ。

各世代を一般化しすぎた? もちろん。私はこのゲームすべての版のファンで、これら説明の一部、あるいはすべては私のことであり、彼らのすべてが同じ流儀を持っているわけがない。だが、異なるプレイヤーとDMが抱えるさまざまな欲求と欲望の存在を認識し始める役には立つ。真にすべての版を統合するために、ゲームは彼らすべての望みを満たす必要がある。つまり、人々が彼らのやりたいゲームをプレイできなければならないのだ。