ネコぶんこ


2012年09月03日 その後の歴史は、報道発表とマーケティング戦略と皮肉なキャンペーンの方便になりさがってしまった。 [長年日記]

§ [DnD][4e][LnL] 『RPGデザインの哲学(RPG Design Philosophy)』

伝説と伝承

マイク・ミアルス

『伝説と伝承』を執筆するために座った今朝の私は、少しこっけいな気分になった。2011年のはじめ、私たちはD&Dの受け取り手であるプレイヤーとDMたち(つまりこのコラムを読んでいるみんなのことだ)と、ゲームの作成に責任を持っている側(R&D)の間に大きな埋めがたい溝があるのを感じたので、コラムを始めたのだ。

だから、私が今週伝えることについて少し困っていることをこっけいに感じるのだ。私たちがGen Conへ出かけている間に、プレイテスト・パックの最新版が公開された。私たちはまだ多くのクラス、種族、呪文、そしてモンスターなどについて作業を残しているが、それをきちんとした形にして君たちと共有するのはまだまだ先の話だ。Gen Conの基調講演で私たちは未来のD&Dが目指す方向と、卓上RPGをプレイした結果で未来が作られるフォーゴトン・レルムのことを発表したが、それについて詳しいことを話すにはまだ早すぎる。

私はこれから私たちが手をつけるかもしれない不確かなことをいくつか紹介するより、私たちがゲームのルールという仕組みを作成するときの哲学をいくつか紹介したほうが役立つかもしれないと考えた。RPGのデザインはかなり独特な生き物だ。君がボードゲームやビデオゲームのデザインが大好きなら、その中におそるべき卓上RPGを加えることもできるだろう(またはその逆も)。

私はR&Dに所属している人間なので、よいRPGをデザインする鍵となる要素をいくつか君に伝えることができるのではないだろうかと私は考えたのだ。私はこれから説明する2つを哲学の礎にしている。1つはDMのために、もう1つはプレイヤーのために。

よりDMが楽をできるルールを。これはおかしな話かもしれないが、これがRPGと多種のゲームの間にある大きく際立った点であることは確かだ。RPGの場合、ルールは進行を助け、DMのために役立つ道具として用いられ、簡潔明瞭にプレイヤーが理解できなければならない。また、38年間卓上RPGが歩んできたように創造的で予測不能、そして想起しやすいゲームができなければならない。

よいRPGのルールは、裏方に徹するものだ。いちどルールを覚えれば、君が論理的かつ容易にそれらを適用できるものに。よいルールは置かれた状況に近いところまで簡単に誘導でき、DMに最後の隙間を埋めるための容易な手段やさまざまな不思議な状況を提示してくる。ルールはそれ自体に注目させず、ゲームを中断させず、余計な仕事を意識させない。

RPGのルールが目指す最高の目標は、その存在でよりよいゲームが確実なものになることだ。君がそうしたルールを持っていないなら、そのゲームでは君がそれを求めることになる。

RPGはもっとも制限を持たないゲームの形態であるため、これは重要なことだ。DMは自身の判断でルールの裁定をしなければならないので、ルールは簡単に拡張や修正のきくゆるやかで単純なものになる。

ゆるやかなルールという概念は、たとえばモンスターが持つ経験点の量やレベル、財宝の量などである。DMは適切だと考えただけの力を持つモンスターをパーティにぶつけたり、ダンジョンに宝を設置できなければならない。キャラクターと比べてモンスターや魔法のアイテムが適切かどうか判断するのは、君なのだ。君はDMとして慎重にパーティのレベルに見合ったバランスを取ることもできるし、1レベルだろうが間違った扉を開けばティアマトに襲われるような世界だって構築することもできる。重要なのはDMが何をすればいいのかをゲームのルールが定義しないことだ。ゲームの仕事はDMに与えることで、彼や彼女を縛ることではない。

この点を他種のゲームと比べてみることは重要だ。テニスやポーカーのルールはプレイヤーがゆるくプレイするためには存在しない。その代わりにそれらはサーブ、ショット、ふるまいなどの基準を示して確立することで、ゲームを公正なものにする。大部分のゲームは公正さを維持し、明確な条件を定義し、そしてゲーム中に起こりうるあらゆる事態を想定する。だがD&Dは違う。協調性のゲームであるから、そういった部分についてはDMに任されている。ただし、例外が1つある。

キャラクター・オプションは以下の理由から、バランスが取られるべきルールだ。D&Dではキャラクターを構築するために、クラス、種族、呪文などのオプションをプレイヤーに提供する。対立するゲームではないが、これはプレイヤーにファンタジー世界の冒険者という役割を与えていると考えられる。ある人は魔法使いになりたいし、ある人は戦士になりたい。たった1つのオプション、あるいは一握りのそれらがゲームすべてに影を落とすようなことがあってはならない。このゲームはファイター、ローグ、ウィザード、そしてクレリックによる冒険だ。断じてウィザードと彼や彼女の召使いたちではない。

別の表現をするなら、このゲームはレイストリン・マジェーレが元ネタのものよりもランスロット卿のようなキャラクターを望んだ(またはその逆でも)誰かに罰を与えるようなことがあってはならない。君のDMが殺すためだけに存在するようなダンジョンを出そうが、飴玉のようにアーティファクトを渡してこようが関係なく、キャラクターにはそれぞれ冒険で活躍し、いい気になるための基本的な機会がなければならない。

その一方で、完全無欠のバランスは絵空事だ。壊れた強さのキャラクターを構築したい人は、他人よりも強くなるためにシステムとオプションの穴をつく方法を見つけるだろう。壊れた組み合わせが見つかったとき、R&Dはエラッタを発行する必要がある問題なのか、他の大きな修正を行なうべきなのか判断を迫られる。一方で、私たちはDMに壊れたキャラクターとつきあうためのガイダンスと助言を提供することができる。また、私たちは問題点をグループの意志として変更することも示唆できる。プレイヤーが強い組み合わせを見つけるのはすばらしいことだ。R&Dはそれらのコンボがゲームを歪めたり、あるキャラクター・クラスにとって他に選択肢がないほど強いオプションなのか、充分に調べる必要がある。

完全無欠のバランスで構築されたものは、退屈なゲームになってしまう。また、キャラクターが注目に値する行動を行なう瞬間、そこには限定的なバランスの揺らぎが生じる。ウィザードがフェザー・フォールでローグを静かに浮かべ、ヒル・ジャイアントの後方上空から背中に一撃を加えるのは面白い。パーティの仲間が退却するまで、ファイターが1人でダンジョンの通路を塞ぎ、単騎で1ダースのオーガを押しとどめるのは英雄的行為だ。私たちはキャラクターに輝いてほしい。ルールはキャラクターが何か特別なことを達成するための足がかりを与えるようになっている。

ルールがつまらなくなるのは、特別な努力もなしに1体のキャラクターが他の全員よりも輝いているときだ。また、他の助けがいらないほど完成されたクラスも問題だ。平均的なゲーマがキャラクターをまとめて楽しいひと時を過ごすことが出来るなら、システムは機能しているといえる。このように、彼らそれぞれが自身の得意な分野において独特で面白い活躍をすることは許容し、全体でクラス間のバランスを保たなければならない。

マイク・ミアルス

マイク・ミアルスはD&Dリサーチ・アンド・デザイン・チームのシニア・マネージャだ。彼はレイヴンロフトのボードゲームやD&D RPGのサプリメント何冊かを手がけている。