ネコぶんこ


2014年01月24日 [長年日記]

§ [DnD][Ludus] 『D&Dおよびその他のRPGについてのやや簡潔な歴史:1980~1989年(A semi-brief history of D&D and some other RPGs: 1980-1989)(1/2)』

投稿者:TerraDave

2011年3月29日、午後2時17分

1980年

(テキサスの)ジャクソンの『The Fantasy Trip』はMetaGamingから出版された。『TFT』はミニチュア・ゲームの『Melee and Wizard』を元にしており、ふたつのクラス、3つの能力値(筋力、敏捷力、そして知力)を組み合わせる柔軟性に富みランダムを排したキャラクター作成と、ヘクスを使った戦闘をすることができた。MetaGamingの創業者であるハワード・トンプソンとスティーブ・ジャクソンは、トンプソンが『TFT』の“複雑性”を非難したことにより、それぞれの道を歩むことになる。ジャクソンはスティーブ・ジャクソン・ゲームズを起業し、その年のうちに『Melee』でファンタジーの戦士が行なっていたように武装した自動車同士で決闘するゲームカー・ウォーズを発売した。

フィッシャー、フェンロン、チャールトンの『アームズロー』はIron Crown Enterprisesから出版された。D&Dや他のゲームとは違い、非常に詳細な表によって駆動する戦闘システムを持っていた。翌年には――2000の呪文を収録した――『スペルロー』『クローロー』『キャラクターロー』などが追加されていった。これらは『ロールマスター』ゲーム・システムとして統合されることになる。

ドッケリー、サドラー、トゥホルスキーの『The Morrow Project』は、Timeline gamesから出版された。これは詳細な現代戦闘に注目した初のRPGで、プレイヤー・キャラクターは第三次世界大戦の150年後に冷凍睡眠から目覚めた兵士になる。

ラスマッセン、ハンマックの『Top Secret』はTSRから出版された。このスパイものRPGは、ゆるやかなクラス制、パーセンテージを基準にした特徴と技能、キャラクターを絶体絶命の状況から脱出させる“名声と幸運”点を含んでいた。

ワード、クーンツ、シックのDeities and DemigodsはTSRから出版された。神格、亜神と英雄を再定義するこの本では、歴史的パンテオン(ギリシア、北欧、エジプト、シュメルなど)のに加えてアーサー王の英雄たち、そしてフリッツ・ライバーのネーウォン、マイケル・ムアコックのエルリック・サーガ、そしてH・P・ラヴクラフト(と仲間たち)のクトゥルフ神話についての情報も含んでいた。そしてこれはD&Dのために創造された新しい“人間以外”の神々が生まれた瞬間でもある。『モンスター・マニュアル』風に書かれたこれらの記事は、高レベルの敵がこれらの神々となることを意味していた。ケイオシアムとの契約により、クトゥルフとエルリック関係は増刷分からは削除された。

ガイギャックスの『World of Greyhawk』はTSRから出版された。ゲイリー・ガイギャックスの個人的なキャンペーン・セッテイングを拡大したものであるこれは、DMが詳細を決定していじり回すことを想定し、充分な遊びをもつ簡潔なものだった。この擬似的な歴史風味と強いファンタジー性が混じりあったものは、もっとも初期のAD&Dアドベンチャーの舞台でもある。

……これらにはPCが墜落した宇宙船を探検するガイギャックスのS2 Expedition to the Barrier Peaks、PCが他の次元界に旅をしてデーモンの女神と戦うガイギャックスのQ1 Queen of the Demonweb Pitsも含まれる。トーナメント・プレイ用に作られた、クックの『A1 Slave Pits of the Undercity』、ジョンソン、リーソンのC1 The Hidden Shrine of Tamoachan、そしてハンマックのC2 The Ghost Tower of Invernessの3作も含まれている。これらのすべてには作成済みキャラクターとDMがその場所の描写をすばやく行なえる“囲み記事”がついていた。また『Tamoachan』には、イラストと実用的な大きさではないが遭遇と戦闘のマップがついていた。

アンダーソン、ブランク、ダニエルズ、レブリングの『ゾーク』はInfocomから発売された。TSRから商標違反の警告を受けるまでは『Dungeon』という題名だったこれは、プレイヤーが広大な迷宮を探検し、最終的にダンジョン・マスターの称号を得るテキスト・ベースのビデオ・ゲームだった。そこにはまた、グルーも登場していた。リチャード・ギャリオット(またの名をロード・ブリティッシュ)による『Ultima I』はオリジン・システムズから発売され、ダンジョン探検や能力値、クラス、レベルと種族でキャラクターを記述する要素が含まれ、その中にはボビットも存在した。だが、同時にそれは宇宙船での戦いも描いていた。エセックス大学のトラブショウとバートルはインターネットの前身、ARPANetで利用可能なMUD(マルチユーザー・ダンジョン)を開発した。

TSR製ゲームのトーナメント・プレイを容易にするためメンツァーとTSRはRole-Playing Game Associationを設立した。

1981年

ピーターセンたちのクトゥルフ神話TRPGはケイオシアムから出版された。1920年代を舞台にした宇宙的恐怖と必要充分に革新的なシステムのよくできた組み合わせにより、『CoC』では“一般人”に近いキャラクターがラヴクラフトのクトゥルフ神話世界に巻き込まれ、しばしば破滅することも許容された。『CoC』はペリン、スタフォードのベーシック・ロールプレイングシステムを元にしており、箱の中にはそれも含まれていた。同じ年にケイオシアムは、マイケル・ムアコックのエルリック・サーガをBRPシステムで再現するストームブリンガーも出版した。

マクドナルド、ピーターセンの『Champions』はHero Gamesから出版された。有利と不利をポイントで購入するシステムや非常にカスタム化して作成しやすい“効果を基準にした”能力などジャンルに対して適切なキャラクターを導入したことで、『Champions』はより精密にジャンルを再現する時流にも恵まれ、もっとも有名なスーパーヒーローものゲームになった。

シャレット、ヒュームの『Aftermath!』はFantasy Games Unlimitedから出版された。より複雑で“リアル”にポスト・アポカリプス時代の生存競争を扱ったものだ。それは微に入り細を穿った火器のルールやしばしば複数のフローチャートと表を必要としてより複雑な計算を要求するものだった。

シエンヴィーダの『The Mechaniod Invasion』はPalladium Booksから出版された。PCは機械生命体の侵略を受ける別惑星に住む移民だ。初期の“メカ”ゲームであり、D&Dのシステムをなんでもありに変形させて拡張したクラスレベル制は、後のPalladium製品にも引き継がれた。複雑な計算は必要なかった。

クック、モルドヴェイのダンジョンズ&ドラゴンズ・ベーシック・ルール・セットエキスパート・ルール・セットはTSRから出版された。オリジナル版ダンジョンズ&ドラゴンズを現代的に改定したふたつのボックス・セットは、(法的に)AD&Dからは独立したゲームになった。これにはD&Dを中等教育の寄宿舎から(他の版でもしばしばあったことだが)大人にも遊ばれるように、エロール・オトゥスの表紙によってゲームに不可思議の剣と魔法の雰囲気を持つ完結したゲームにするTSRの戦略も影響していた。ホームズによるベーシックでの“種族のクラス化”や野外探検や共同体の設立を強調により、それはよりはっきりとしたものになった。B、XのD&Dはそれら独自の“ノウン・ワールド”としてエキスパート・セットの付属モジュールX1 恐怖の島であらましが紹介された。

ターンバルが編集したFiend FolioはTSRから出版された。最初の『Folio』はイギリスでD&Dの権利を持つゲームズワークショップが出版したもので、いくつかのD&Dモジュールが初出のものとともに『White Dwarf』誌が初出、あるいは『Dwarf』誌に投稿されたが掲載されなかったモンスターも何種類か再収録していた。この本により世界に導入されたギスヤンキ、スラード、そしてフランフは『Dragon』誌でふたつのレビューで批判され、ターンバルはその反論記事を書くことになった。エド・グリーンウッドのものは特に痛烈だった。

TSRはまた9点の(A)D&Dモジュールを出版した。『X1』とともにクックはI1 Dwellers of the Forbidden Cityも著し、蛇人間のユアンティを生み出した。エキスパート・セット用にはまた、モルドヴェイによる野心作X2 アンバー家の館も発表された。Slaverシリーズはジョンソン、モルドヴェイのA2 Secrets of the Slavers Stockade、ハンモックのA3 Assualt on the Aerie of the Slave Lords、そしてシックのA4 In the Dungeons of the Slave Lordsまで続いた。村の近郊が舞台の新規キャラクター用アドベンチャーもラフォカのL1 The Secrets of Bone Hillと、(『Folio』と同様に英国で企画された)ブラウン、ターンバルのU1 Sinister Secrets of Saltmarshのふたつが出版された。残りは……。

ウェルズ(とモルドヴェイ)のB3 アリクの瞳はTSRから(二度)出版された。ジーン・ウェルズのオリジナル版――TSR最初の女性による製品――は早いうちに回収されて大幅に修正されたモジュールに交換された。オリジナル版のイラスト(ガイギャックスや他のTSRスタッフを戯画化したもの)はかなりお粗末なもので、他の製品(B1では余白をモンスターで埋めていた)とも足並みが揃っていないものだった上、あまりに変だと感じられることが多かったからである。

当時のTSRは200人の従業員を抱え、拡大を続けていた。そこでは(いくつかの)電子式タイプライターからターミナルへの入れ替えも進んでいた。

RPGAの会報として『The Polyhedron』の出版が始まった。

ヤフィのMazes and MonstersがDelacorte Pressから出版された。ジェームス・D・エグバートの“共同溝事件”を受けて書かれた非常に創作性の強い考察で、この本ではRPGを精神病や暴力行為と同一視していた。これはコインのHobgoblinの密かに拡大するヒステリーとも共通点があった。

1982年

キースたちのBehind Enemy LinesはFASAから出版された。トラベラー(FASAはこれのサプリメントを出版していた)から派生した第二次世界大戦での戦闘を再現するルールである。これはマーティンのベトナム戦争の特殊部隊をキャラクターにする『Recon』、バーダー、サンギー、マークのFGU(Fantasy Games Unlimited)から出版された現代戦もの『Merc』で拡張された。

マクリモア、ポーレイン、ティポールのStar Trek: The Role Playing GameはFASAから出版された。キャラクターは未知の惑星を探検する宇宙艦隊の士官である。『Star Trek』はキャラクター作成にトラベラーの影響を受けつつ、一般的なパーセンテージ基準の技能システムに、超能力関係のルール、パーティ全員が参加できる宇宙船戦闘を含んでいた。このゲームは第1作からアニメーション・シリーズまでの資料を大量に繋ぎ合わせ、スタートレック宇宙のさまざまな隙間を補完し、スタートレックの“正典”を創造した。

ウィンターたちのStar FrontiersはTSRから出版された。活劇重視で軽いノリ――ぬるぬるした粘体生物や翼膜を持つ類人猿をPC種族として使え、蟲が主な敵――とすべてをパーセンテージ基準の技能システムにしたこのゲームは、これまでより若い層に広く門戸を開放するTSRの戦略だった。しかし、この目論見は複雑すぎるデザインへ傾倒していったことで徐々に損なわれることになる。サプリメント『The Knight Hawks』の宇宙戦闘ルールは、独立したウォーゲーム、ボードゲームとして人気が出た。

クレーブス、エーカーのGangBustersはTSRから出版された。禁酒法時代の犯罪と汚職に焦点を当てたこのゲームは、比較的簡潔で完結した(パーセンテージ基準の技能を使った)ルールと、それぞれの職業独自の目標を達成することによる個別経験点が存在した。類似したFGU生え抜きのシャレット、ヒュームの20年代、30年代のパルプもの『Daredevils』は、それにより会社が拡大しRPGの品揃えも増えた。

ペリンの">Worlds of Wonderはケイオシアムから発売された。ケイオシアムのベーシック・ロールプレイングを元にしたこれには、ファンタジー、超能力、そしてサイエンス・フィクションについての3つの短い章と、それらを全部混ぜるための設定が含まれていた。

フェンロンのA Campaign and Adventurers Guidebook for Middle EarthはIron Crown Enterprisesから出版された。(D&Dも含む)さまざまなファンタジーRPGで使える、とてもよくできたポスター・マップを含んだこれは、RPG最初の指輪物語を扱った製品だった。(ICEが初めて許可を得て販売した)。ICEは『ロールマスター』用の中つ国サプリメントも出版し始めたが、これらはルールの縛りがゆるいものだった(それゆえにD&Dで使用することもできた)。ICEは基本的に『指輪物語』と直接関係させることを避けていたため、サプリメントの設定は三部作で言及される地域から遠く離れていたり、数世紀前であることもしばしばだった。

ギャロウェイのFantasy WargammingはStein and Day, Doubleday から出版された。書店やSFブッククラブで販売されたこれは中世ヨーロッパについての役立つ背景情報となんとかプレイできる程度のRPGをまとめた、“現実的な”路線のファンタジーRPGだった。FGUはこの路線にクラスと金銭のない『Sword Bearer』を、SPIは複雑な『Dragonquest』をファンタジーの中に加えた。

TSRはふたつのD&Dのために8本のアドベンチャーを出版した。野心家のモルドヴェイが創造したB4 The Lost City。ガイギャックスのS4 Lost Caverns of TsojcanthWG4 The Forgotten Temple of Tharizdunの2作はそれぞれつながりのあるアドベンチャーで、前者はイグウィルヴのデモノミコンを紹介する(76年に出版された)初期のモジュールのひとつを改定したもので、後者はクーンツが最初に創造した同盟の神格を扱ったものだ。他は『Saltmarsh』の続篇でブラウン、ターンバルのU2 Danger at Dunnwater、ナイルズの他と直接的な繋がりのないN1 Against the Cult of the Reptile God、エーカーのI2 Tomb of the Lizard King、これもナイルズの謎めいたX3 ザナソンの呪い……そして、ヒックマン夫妻のPharaohである。

著者のトレイシーとラウラ夫妻による自費出版から始まったこのエジプト風アドベンチャーは、雰囲気、物語、そして探検の要素が強くかみ合った連作アドベンチャーで、ヒックマンはこれをTSRに持ち込むことを考えたのだ。

Mayfair Gamesは“AD&D互換”のアドベンチャーをRole Aidsブランドとして、1982年の半ダースを皮切りに出版しはじめた。このブランドは多くの製品を出版し、ガイギャックスもそうするよう呼びかけたが、TSRから公認ライセンスを得ることはなかった。

エステスのDungeon of DreadはTSRから出版された。以降の5年間で最初の36冊を出版したEndless Questブランドはバンタムのきみならどうするシリーズと似ていたが、より長く、キャラクターに凝っていて、もちろんD&D独特の用語を使ったものだった。

(英国の)ジャクソン、リビングストンの火吹山の魔法使いはPuffinから出版された。きみならどうするにゲームズワークショップの創業者が単純なキャラクターのステータスとダイス・ロールを付け加えたファイティング・ファンタジー・シリーズ59冊の最初にあたるこの本は大好評だった。

『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は20ヶ国で販売され、フランス語をはじめとした(英語のほかに)16ヶ国語に翻訳されて売られた。TSRの売り上げはさらに二倍の2千万ドル(およそ1千6百万ドルがD&D)となり、社員は300人を突破した。振り返ってみれば、これが最盛期だといえる。

『Mazes and Monsters』はトム・ハンクスが主演するテレビ映画になった。彼はゲームによって狂気に陥り、自分が僧侶パデューだと思い込んでいる人物を演じた。

6月、アーヴィング・リー・“ビンク”・プリングが自殺した。彼の母パトリシアは、「彼が地元のハイスクールでD&Dのゲームに参加して数時間後のことだった」と主張した。彼女は息子の死について校長、そしてTSRを相手取って訴訟した。

1983年

ゲイリー・ガイギャックスはハリウッドに赴き、TSR(後のD&D)エンターテイメント部門の責任者になった。ケビンとブライアン・ブルームはレイク・ジェネバの本社にとどまった。

1月にはニューヨークタイムズがその記事で、モノポリーが1930年代を代表するゲームとなったように、D&Dは1980年代を代表するゲームになるかもしれないと予想した。

クルーグたちの『ジェームズ・ボンド』はVictory Gamesから出版された。小説や映画に忠実な活劇ものである。チェイス、ギャンブル、そして誘惑のルールも入っていた。行為は“結果表”によって判定されるので、GMが難易度を設定すればパーセンテージ・ダイスのロール1回の結果からどれくらいの成功か決定できる。この年はスタックポールが作成し(トンネルズ&トロールズの影を色濃く残す)フライング・バッファローが出版したMercenaries, Spies and Private Eyes、マクドナルド、ピーターソンが作成しHeroes Gameが出版した『Espionage』『ボンド』の類似ゲームに加わった。

モルドヴェイの『Lords of Creation』はアバロンヒルから出版された。『D&Dベーシック・セット』のデザイナによるこの単純なルールのRPGはこのウォーゲームの出版社による初の試みで、強力なキャラクターが時間、宇宙、そしてジャンルを縦断して種々雑多な経験をすることができるものだった。アバロンヒルはまた、スナイダーの複雑なファンタジーRPGPowers and Perilsも出版した。

クロスビーの『Harn』はColumbia Gamesから発売された。“すべての”ファンタジーRPGのための“リアルなファンタジー世界”をうたったそれは、86年のハーンマスターで複雑な専用のシステムを持ち、現在も当時のようにサポートが続いている。それはシエンベーダのPalladium Role-playing Gameなどと同じように(受け流し判定はあるが)とにかく詳細なリアルらしさを求めるファンタジーRPGの潮流に乗ったもので、内容や雰囲気はD&Dと近い位置にあったが多くの現代的ゲームより長持ちした。

メンツァーのダンジョンズ&ドラゴンズ・ベーシック・ルール・セット『エキスパート・ルール・セット』はTSRから出版された。ベーシック・セットの第3版は従来と同じルールだったが、より若い対象年齢に向け、徹底的な改定が行なわれた。『国境の城塞』はソロ・シナリオへと変更された。エキスパート・セットの改定はゆるやかなものだった。

ガイギャックスのMonster Manual IIはTSRから出版された。(A)D&Dで3冊目になるこのモンスターの書には『Dragon』誌やDwellers of the Forbidden City(ユアンティ)、Lost Caverns of Tsojcanth(ビーヒア)などさまざまなモジュールからモンスターが再録され、さらにデーヴァ、モドロン、ドゥエルガルなどが紹介された。ガイギャックスはまた1980年の書籍版を大幅に拡張したWorld of Greyhawk Fantasy Game Settingを執筆し、グレイホークの神々や『Dragon』誌で発表されたさまざまな情報を取り入れてより詳しいフラネスを記述した。

TSRが出版した(A)D&D用アドベンチャーは15作品。ガイギャックスが『アリス』に影響を受け、グレイホーク城の回想シーンも発生するEX1 DungeonlandEX2 Land Beyond the Magic Mirror。ラコフカのL2 Assasin's KnotBone Hillの続きで推理もの。ブラウンとターンバルのU3 The Final Enemyではソルトマーシュの結末が描かれ、こちらもブラウン(そしてカービィとモリス)のUK1 Beyond the Crystal Caveは戦闘以外の方法で問題を解決が強調された“英国流”モジュールだった。ナイルズはB5 シュリール川を越えて 恐怖の丘へを書き、クックはX4 未知なる恐怖への挑戦X5 死を呼ぶ神殿、そしてひとり、あるいは1対1プレイ用のアドベンチャーを3作書いた(MSOL1 Blizzard PassMSOL2 Maze of the Riddling MinotaurO1 The Gem and the Staff)。ヒックマンのPharaohも続編のI4 Oasis of the White PalmI5 Lost Tomb of Martekが出版され、そして……。

I6 Ravenloftである。ヒックマン夫妻がTSRに持ち込んだもうひとつのアドベンチャー、ゴシック・ホラーに彩られたレイヴンロフトは、伝統的なダンジョン、物語、テーマの中に城の立体マップや占いによってランダムに決定されるアドベンチャーの核心部など、新たな要素が含まれていた。

ハリウッドでのガイギャックスの冒険は9月17日にCBSでアニメ版『Dungeons & Dragons』が放送開始されることで成果をみせた。3シーズン、27話に及んだアニメの特徴は、現実世界からD&Dの世界へ召喚されたこどもたち、レンジャーのハンク、シーフのシーラ、マジシャンのプレスト、キャヴァリアーのエリック、アクロバットのディアナ、そしてバーバリアンのボビーたちの冒険であることが特徴だ。彼らはユニコーンのユニ、親切だが謎めいたダンジョン・マスターと出会い、ヴェンゲルやティアマトと戦い、謎を解き、そしてオークたちから逃げる。アニメはその時間枠で2年間放送されたが、こども向けテレビ番組の中でももっとも暴力的なもののひとつとして挙げられるものだった。

アニメはまた、LJNから発売されたD&Dおもちゃなど百以上の関連製品を生むことにもなった。

ゲームと関連製品の好調な売り上げ……そして、ブルーム兄弟の過剰な多角経営による財政危機。おもちゃ、ミニチュア、そして裁縫キット(ああ、その通りだ)を自社生産するTSRの試みは数百万ドルの損失につながった。TSRはまず最初にD&D作成部門からの定期的かつ頻繁な正社員の解雇で対応した。二度にわたる解雇の波で社員は半分以下、150人未満にまで減った。

1984年

40以上の新作および改訂版のRPGが発売され、カタログと拡大を続けるゲーム小売店のネットワークに乗って全米に流通した。これらの中には新たに設立されたホラー・ゲームのChill、スター・ウォーズ風の『Starace』、そして時間旅行ゲームのTimemasterを出版したPacesetter gamesをはじめとする、元TSR社員によって設立された会社も含まれていた。アクレス、サンチェス、シュピーゲル、ヘイデイ、スミス、ウィリアムスによるこれらのゲームは軽いルールと雰囲気、そして『ジェームズ・ボンド』にならったアクション表ひとつでさまざまな行動を解決するものだった。

他の小品の出版も続き、コスティキャン、スペクターのToonはスティーブ・ジャクソン・ゲームズから出版され、これもコスティキャン、ゲルバー、ゴールドバーグ、ロルストンのParanoiaはWest End Gamesの新作RPGとして出版された。ひとつめは不死身でばかばかしいアニメのキャラクターをプレイするもので、ふたつめはとても死にやすい共産主義者のミュータント、つまり人間のくずを追いかける共産主義者のミュータント、つまり人間のくずであるトラブル・シューターをプレイするものだ。幸い君のキャラクターが死んでも、彼のクローンが共産主義者のミュータント、つまり人間のくずを捕らえるためにやってくる。

チャドウィック、アステル、ハーシャム、ワイズマンのTwilight 2000はGDWから出版された。トラベラーの出版社によって発売されたこのゲームは軽くも手軽でもなかったが、RPGプレイヤーが好む最新の重火器を自由に使える限定的な終末――中央ヨーロッパで小規模な核兵器の応酬と通常戦争が起こり、(表向きは)終わった――設定にも助けられ、有名な軍事ものRPGの座へと駆け上がった。

チャールトン、ルエームラー、ブリトン、フェンロンのMiddle Earth Role Playing(MERP)』はICEから出版された。MERPは『ロールマスター』の軽量版ルールを使った独立型ゲーム(ただしさまざまなものを追加すると決して軽いとはいえなくなる)である。もっとも売れたこれは12ヶ国語に翻訳された。このゲームもICEの他の『指輪物語』関連製品と同様、三部作とは別の時期が舞台で、ルール要素が薄いサプリメント(シナリオ集以外で21点)は他のファンタジーRPGで使えるものだった。

キーソウの『Das Schwarze Auge(The Dark Eye)』はSchmidt Spiel & Freizeit GmbHから出版された。このファンタジーRPGはドイツでもっとも売れたRPGになり、オランダ語、フランス語、イタリア語への翻訳もされた(英語版の出版は何度か版を重ねた後のことである)。この版の複雑さはBasic D&Dより少し上程度で、以降の改定によってどんどん増していった。新機軸のひとつは呪文発動で、これはプレイヤーに詠唱を暗記させて唱えさせるものだった。

TSRはグラブ、ウィンターの『Marvel Super Heroes』とクック『The Adventures of Indiana Jones』で版権市場に進出した。いずれも軽いルールのゲームであり、キャラクター作成も不可能だった。プレイヤーは親しみ深い物語のキャラクターをプレイするのだ。『Marvel Super Heroes』はなんでも表と呼ばれる万能の表を持っていて、『Champions』に代わる人気作品になった。キャラクター作成も追加された拡張ルールは、86年に『Advanced Set』として発売された。インディ・ジョーンズは成功したとも続いたともいえず、TSR英国が契約を打ち切ったときに処分されることを逃れた売れ残り在庫品ゲームが硬質プラスチックのピラミッドに封印された“Dianna Jones”ゲーム賞のトロフィーとの関係が一番有名になる。

メンツァーの『ダンジョンズ&ドラゴンズ・コンパニオン・セット』はTSRから発売された。これはエキスパート・セット以上、15~25レベルのキャラクター用ルールだ。これにはPCが城と領地を経営し、競技会を開き、大規模戦闘の処理を数回ダイスをロールすることで行なうこともできるウォー・マシンが含まれている。

TSRは(A)D&D用に版権ものも含めて26のモジュールを出版した。クックのCB1 Conan: Unchained!とロルストンのCB2 Conan: against the Darknessには、ハイボリア時代をプレイするルールとコナンやその仲間たちのステータスが掲載されている。クーンツとガイギャックスのWG5 Mordenkainen's Fantastic Adventureはガイギャックスのウィザードが冒険したクーンツのマウレ城が舞台で、D&D初期に出版された他のモジュールを思い起こさせるものだ。スミスのN2 The Forest Oracleは、イエティが出てきているもののTSR至上最低のアドベンチャーという呼び声も高い。

4部作アドベンチャー――DL1 Dragons of DespairDL2 Dragons of FlameDL3 Dragons of HopeDL4 Dragons of Desolation――はヒックマン夫妻がTSRに持ち込んだものによって生み出されたもうひとつの結果だ。TSR営業部はより多くのドラゴンを『ダンジョンズ&ドラゴンズ』にもたらすべく、トレイシー・ヒックマンをはじめとした、ドブソン、グラッブ、ジョンソン、ムーア、ナイルズ、ウィリアムズによる『ドラゴンランス』を支援した。規定の条件をいくつか満たしたら時にはプレイヤーの行動と関係なくDMが彼らを操作するように指示された、プレイヤーにプレイのやる気を出させるための作成済みキャラクターを使い、ハイ・ファンタジー小説に参加していることをより強調させることを狙ったD&Dの新たな世界とこれら連作アドベンチャーは、大君主計画(Project Overlord)のコードネームで呼ばれた。

これらのアドベンチャーはまた、トレイシー・ヒックマンとマーガレット・ワイスによる連作小説とも最終的には合流した。当初は最初に出るモジュールの販促とみられていた『Dragons of Autumn Twilight』(訳註:日本語版では廃都の黒竜城砦の赤竜にあたる)は数百万部を売り上げ、数ヶ国語に翻訳され、何百ものゲーム、書籍、そして『ドラゴンランス』関連製品を生み出した。

息子の死についてTSRを相手取った裁判をしりぞけられたパトリシア・プリングはBADD(Bothered About Dungeons and Dragons)を設立し、RPGが現実の魔鬼や悪魔と関係を持ったオカルトであると主張する“専門家”として後半生を過ごす。オカルトとの関係は宗教コミュニティの中で広まり、チック・トラクトがDark Dungeonsを描くきっかけにもなった。

ウルフによるDragonRaidはアドベンチャーズ・フォー・キリストから出版された。PCは内面的葛藤を抱えた光の戦士で、聖書の聖句を引用して竜などの堕罪した怪物とEdenAgainの世界で戦う。彼らは透き通ったd10を使い、信仰なき悪の存在は黒いd8を使う。戦闘は――クリティカル・ヒットを含む――かなり詳細なもので、改心させられる者は鎮圧し、現実に存在するものと同じ名前を与えられた“怪物”は殺される。プリングはこれらもRPGであるゆえに悪であると非難した。これはまだ出版されている。

ディアによるThe Dungeon Master: The Disappearance of James Dallas Egbert IIIは捜査の初期におけるD&Dと共同溝の関連づけ、そしてエグバードの死の真相はまさにそこにあることを明らかにした。この出版がプリングや増え続ける彼女の信奉者への歯止めとなることはなかった。

モーハンが編集長を務め、TSRが出版していた『Dragon Magazine』は11万8千部を売る(1982年の2万部、82年の6万部を超える)全盛期に達していた。

RPG全体の売り上げは数年の急成長から安定期へ移り始めていたが、D&Dの成功後に生まれた小売店ネットワークでは新旧いずれのゲームも売れ、趣味としてのゲームは依然強さを持っていた。これらの中に含まれる新作には、FASAのバトルテック、Supremacy Gamesの『Supremacy』、そしてMilton BradelyのAxis and Alliesもあった。ゲームズワークショップの『ウォーハンマーファンタジーバトル(83年の第1版、84年の第2版)』はファンタジーもののミニチュアで戦争を行なうためのルールや数値を整備し、ロールプレイングの始まりへと回帰するものだった。

D&Dがブランドと収益を成長させる一方でTSRの負債は膨らみ続け、35%以上の職員を強制解雇し、その規模は100人以下になった。

ゲイリー・ガイギャックスはケビン・ブルームが退いた後、ふたたびTSRのCEOに就任した。彼は破産だけは回避しなければならなかった。彼はハリウッドで見つけた人物を連れてきた。新たな投資家にして経営者、そしてゲーマではないローレイン・ウィリアムスは、“Buck Rogers”の権利を保有する人物だった。

D&Dおよびその他のRPGについてのやや簡潔な歴史:1967~1979年(A semi-brief history of D&D and some other RPGs)』の続き、1984年の分までですぅ。

RPGを出版する会社が増えDnDがアニメ化される一方で放漫経営でTSRが傾いたり、RPGを悪魔のゲームとする運動が組織化されていった時期ですぅ。