ネコぶんこ


2012年06月20日 私はすべてのわが敵の中にあって老いさらばえた [長年日記]

§ [Liber] 鈴木俊幸蔦屋重三郎

今回は久しぶりに脳汁が駄々漏れになるほど面白い本を読み、とにかく書かねばと思って書いたのでかなり読みづらいことを先にお詫びしておくですぅ。

これは江戸時代後期(1750-1797)に版元として活躍した蔦重こと蔦屋重三郎(初代)が何者だったかを、彼の手がけた出版物の傾向と、彼について書かれた当時の文献から辿った本ですぅ。

構成は“吉原の本屋”だった版元以前、狂歌の人脈を利用した戯作出版、絵本や浮世絵の出版、書物(いわゆる“ものの本”)への進出と、初代蔦重の一生を時系列順に追うものになっていてわかりやすくなってますぅ。

特に力が入れられていると感じられた“狂歌の人脈を利用した戯作出版”の部分では、吉原のガイドブックである名寄や細見を起点として出版に進出した蔦重が、“場”のブランディングで躍進したという視点で論が立てられた興味深いものになってますぅ。

この時期、蔦重はこの時代に流行していた通人たちが狂歌をはじめとした娯楽を愉しむ連や会といった“場”に自ら蔦唐丸という狂名を名乗って狂歌師として参入し、趣向を凝らした催しを行なっていたですぅ。そして、それは作家と交友関係を結んで戯作を開板させるだけにとどまらず、歌集を出版することで狂歌という“場”、そして催しを仕掛けていく蔦屋自体をブランドとして確立させ、流行を膨らませて行った、という過程が丁寧に解説されてますぅ。

狂歌や戯作は参加者が狂名を名乗ることで独立した“場”を(こう書くことは語弊があるかもしれないけれど)強固なものにしていたですぅ。そのため、蔦重が蔦唐丸の狂名で狂歌や戯作の世界に入っていたことは、作者本人が出る作品や楽屋オチで版元が出る時も“蔦唐丸”というキャラクタが出てくるわけで、より虚構を徹底できるという著者の指摘も、なかなか興味深いものだったですぅ。

そして狂歌ブームが新規参入者の拡大による消費の加速や寛政の改革による引き締めで縮小したら、次に蔦重が目をつけたのは改革で奨励されることで流行化した道徳などの分野だった……というように、それ以降の時代についても分析されているですぅ。

蔦屋重三郎という人物と文献で残された当時の流行を出版物の傾向と変遷という一貫した切り口から分析し、堅実な商売と並行しながら流行に乗って拡大した蔦重と文献の向こう側にある流行の実像を見る、著者の書籍文化史家としての学問領域を活かした好著ですぅ。

この本では蔦重の事跡に重点が置かれていて江戸時代の出版システムなどの説明はかなり省略されているので、そちらは『江戸の本づくし』や『江戸の本屋さん』などを副読本にするのがいいと思いましたぁ。

また、これは私の附会だけど、インターネットのコミュニティと出版の関わりなどとも通じていると感じられる部分があり、そういう面でも示唆を得られるかもしれないですぅ。