2012年07月09日 「死んだ有名人は、事実上面白い」 [長年日記]
§ [DnD][4e][LnL] 『ゲームという鉱山で働く(Working in the Game Mine)』
伝説と伝承
公開プレイテストの作業で楽しいところのひとつに、プレイヤーからのフィードバックによって私たちが影響を受け、想定しているダンジョン・マスター、プレイヤー、そしてゲームへの見解を再考させられるところがある。公開テスト最大の目標として、大雑把な検査やゲームがきちんと機能することの確認以上に、R&Dチームと受け取り手のつながりを再構築することがある。みんながD&Dに何を求めているか、みんながどんなゲームをプレイしているか、そして彼らはどんなゲームが好きなのかが私たちにとって重要なことだ。
D&Dの雰囲気はその内容や機能と同じくらい重要なものだ。私たちが話題を選ぶ時、R&Dがその見出しを書くことは、多くの場合私たちが実際に話す内容よりも重要だ。私たちが新たなデーモン・ロードを紹介することを想像してほしい――彼の名前をボブとする。私たちはボブを紹介するのに2つのやり方を取れるが、私たちが彼をどう紹介するかに関わらず、ボブがデザインにおいて以下の仮定を通ったと仮定しよう。
- 私たちは確立しているD&Dの伝承と調和し、興味を向けさせる背景の物語を彼に設定する。
- 私たちはバランスが保たれて明確なように、彼のメカニカル面での能力をデザインする。
- 私たちは彼を強力なやつに仕立て、彼はもっとも高レベルのキャラクターにとっても困難な挑戦となる。
では、私たちは彼が最初にお披露目されるアドベンチャーで彼について語るための2つの異なる方法を考えて行こう。
アドベンチャーで、私たちはボブの背景を簡潔に語って紹介する。アドベンチャーで、彼は休火山の墓所に囚われている。ボブには旋風とエア・エレメンタルを招来する能力があり、アドベンチャーの文章では戦闘の間、彼はキャラクターを火山が活性化して墓所に流れる溶岩へ突き落とそうとすると書かれている。
ここが分岐点だ。1つめの方法では、私たちはボブの旋風を招来する能力を彼がかつて強力な風の元素大公を殺し、彼の力を簒奪して風の元素界に領地を持っていたからだと説明する。別の方法では、私たちは君にボブは操り手で、そのために彼は戦闘で周りの者を動かせる能力があると話す。
君の見解次第で、どちらの方法でも、あるいは両方の方法に多くの意味を持たせることができる。本来、私たちは物語と基礎的な仕組みのすべてを投入する。たとえ私たちがボブが操り手であると話さなくても、彼の能力をデザインしたR&Dの人員は、ボブにキャラクターへの脅威となり何かの意味を象徴する、役立つ強力なものが必要だと知っている。この小技はDMがゲームを考える時に何が必要かに注目している。
多くのDMはさまざまなものを物語の層に置くことを好む。彼らはゲームの構成要素――仕組みとして説明されたり枠組みとして存在するが、ゲームの世界に姿を見せないもの――が目に見えることを好まない。彼らは空想の場所として世界と触れ合いたいので、ルールよりも設定から浮かび上がる要素によって彼らは仕事を進めて行きたがっている。悪の公爵はキャラクターを待ち伏せるために20人のオークを差し向けるのは20人がパーティへの挑戦として遭遇構築ガイドラインで“正しい”数だからではなく、彼の手勢が20人であるからだ。キャラクターが充分に強力なら、彼らは床をオークで埋め尽くすかもしれない。彼らがより弱ければ、彼らは生き残るために逃げるか降伏しなければならないかもしれない。
また一方で、多くのDMは仕組みから始めることも好む。彼らは数を見てデザインの意図を前に持ってくることを望む。公爵が適切な数のオークでパーティを待ち伏せさせれば、そこにはDMが戦わせたい“正しい”数がやってくる。キャラクターは降伏するだろうか?彼らは20人のオークだ。キャラクターはオークを蹂躙して公爵の隠れ家を示す地図を彼らの持ち物から見つけるだろうか?彼らは6人のオークだ。
本質的にはどちらのやり方もあまりうまくない。私は両種のDMとプレイして楽しんできたし、私はまた両方の方法を使って私の人生で異なる時間にD&Dを走らせてきた。ここが大きな問題だ。R&Dはどうやってゲームを提示する?両種のDMは異なる方法を好む。どちらかが他に勝たなければならないのだろうか?
私は私たちがやり方とその理由を心にとめて忘れない限り、どちらの方法も使うことができると信じている。『モンスター・マニュアル』のような本の記述は完全に前者の方法が使われるかもしれない。こうした項目はすべてが物語とD&Dの世界に存在する要素を彩るために存在する。モンスターに役割はなく、彼らは背景となる物語と文化を持っている。
一方、私たちの遭遇構築ガイドラインだと私たちはより技術的な心を持ってDMに話す必要がある。私たちは遭遇のバランスを取る方法について非常に明確な助言をする。職人肌のDMは素晴らしく的確な遭遇を作成する。物語派のDMはランダム遭遇表をロールするかこれはと思ったクリーチャーを選んでいく。中道のDMは私たちが提供した道具の中から彼や彼女が望むものを使い、表をロールするか、中身を割り当てるか、あるいは戦闘を形作るための時間を取る。
言い換えれば、私たちがモンスターをゲームの仕組みの中にある要素として語る時、モンスターには役割がある。モンスターをD&Dというゲームの宇宙に存在するクリーチャーとして語る時、モンスターには背景となる物語がある。モンスターは両方を持つが、私たちはそれぞれを適切な文脈で語る。DMやプレイヤーとして、君がどうゲームを見るか決めるのは君次第だ。君はレベルと役割で並べられたモンスター表か、シリックのクレリックと同盟する貪欲で愚かな鉄砲玉くらいには使えるクリーチャーを探して本をめくる、どちらから始める?キャラクターがアメディオ・ジャングルへ向かった時、君がまず想起するのはそこの典型的気候と地形的要素によるクリーチャーの種類だろうか、あるいは君がイエティのメカニクスが好きならばイエティを密林の野蛮人という演出にすることだろうか?私たちが適切な仕事をしているなら、君がどの方法を好むかは重要ではない。ゲームはどちらかが間違っていると思わせることなく、両方に手を差し伸べる。
結局、鍵となるのはゲーマがどうD&Dに触れてどうそれを使うかをR&Dが理解することだ。私たちが君たちの視座を理解すれば、私たちはそれらが喧嘩しないようにそれらを収めるゲームを構築することができる。この理解することこそがD&D Nextへの道の根本である。
マイク・ミアルス
マイク・ミアルスはD&Dリサーチ・アンド・デザイン・チームのシニア・マネージャだ。彼はレイヴンロフトのボードゲームやD&D RPGのサプリメント何冊かを手がけている。