ネコぶんこ


2014年11月30日 [長年日記]

§ [Ludus] 『Gのレコンギスタ』「テリトリィ脱出」

今回は高トルクパックのわかりやすく高カロリーなアクションが映えていたですぅ。

そしてこのアクションへ持っていくまでに、キャピタル・テリトリィも交渉の場としては適切でなく、そこにい続けるのも危ういので脱出しようという流れにして、そこで動きを爆発させた溜めと開放の作劇があったので、より爽快感が増していましたぁ。

キャピタル・アーミィのベッカー大尉はいかにもならず者の兵隊やくざといった雰囲気の、ステロタイプなアーミィ軍人っぽくてよかったですぅ。

§ [Ludus] 『シムーン』一挙放送を観て

昨日今日とバンダイチャンネルで『シムーン』の一挙放送をやっていたので飛び飛びに観ていましたぁ。

戦争は少女が少女であることを演出するための背景に過ぎないと割り切られているからこそ、敗戦や戦後の処理までを描けているのは皮肉めいた必然だけど、戦争はあくまでアーエルたちが置かれている舞台の背景に過ぎず、むしろ飛ぶこと、空への憧れが大きな軸になっているのが作品に独特の浮揚感を与えていて、唯一のものにしているですぅ。

永久機関にガワを被せただけのようなデザインや、『ふしぎの海のナディア』で本来は恒星間通信機だったバベルの塔のように本来の意味が消失しているように感じられるリ・マージョンなど、シムーン周りの設定もとても魅力的ですぅ。また、礁国のとりあえず動けばよしみたいなデザインなど、脇メカにも華が多いですぅ。

そして最終話、みんなでアーエルたちを逃がして翠玉のリ・マージョンを成功させたとき、「私にもそのときがあった。皆、少女だった」を今まで敵だった占領軍の総督がいうのがもう本当にたまらないし、観終わったら死にたくなる心に深く残るものがあるいい作品ですぅ。

そして決して円満とはいえない後日談も、フロエの選択がとても印象的で大人になってしまうことについて感じさせられてくれるですぅ。彼女はシムーン・シビュラのときから楽しくやっていけるのは今だけと割り切っているところがあり、だからこそ自分から面白おかしくやっていこうとしている雰囲気があったし、それならあの湖のほとりでひとり最高の思い出が眠る墓標を守って明るく孤独に暮らそうとしているのにも納得できるですぅ。

ところで私は、あのとき総督がいった「私にもそのときがあった。皆、少女だった」という偉大なるもしもを実現させるため、アーエルとネヴィリルは翠玉のリ・マージョンですべての人が女性として産まれるようになるよう歴史を改変し、すべての始まりにして永遠の少女になったと解釈しているですぅ。