2012年11月17日 いかなる犠牲をはらっても自主性をもつことが必要になること。 [長年日記]
§ [Ludus] Q
というわけで観たけど、まずは先行放送が本当にていのいい撒き餌だったと大笑いですぅ。
TV版からの継続視聴者も新劇場版からの新規視聴者もその予備知識はすべて平等に価値がない! と突き放した上でなんとなく絵みたいなものが見えるけど組みあがるかどうかわからないパズルを投げつけられるのはああ、確かに、これだという肌触りだったですぅ。
前回27になったDATのトラックは28になって25'とONE MORE FINALのぶんも走りぬけ、開放を望む人々とそれに抗う人々のあわいにあって歩くことすら赦されなかった人々がついに歩き出すにあたりかつてのテイストと展開が頭をもたげてきたけど、微妙に変化はつけているのがずるいですぅ。
最初はQ+?で告知されていた通りこれまでの二作を観ていたことが前提で続篇に向けてのタメが強いのは確かだけど、終わらせ方はもうひとつの何かを感じたですぅ。
ナディアスキーからすれば、先行放送版のバベルの光に加えたあの曲の新アレンジやどこかの誰かや何かにそっくりなもろもろで声と笑いを殺すのに必死でしたぁ。
他にも光反射して見えてる吊り線やホワイトベースのレーションめいた食品描写など、端々に挟み込まれるネタで笑わせにこられて危険だったですぅ。
それにしても今考えるに破の予告は「そうだ、年表だ!」だったですぅ。