ネコぶんこ


2023年01月17日 [長年日記]

§ [DnD] Open Game Licenseこれまでのあらすじ

これまでOpen Game Licenseはいかなるものかは語ってきたけど、その歴史を含んだ部分はほったらかしにしていたなと思い、おおむね時系列に沿ってD&Dのファン活動とOGLが果たした役目などを解説しますぅ。

要約したつもりだけどかなり長くなっちゃったですぅ。

ピープルズ対TSR

インターネットの商用サービスが開始された直後の1994年、当時ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)の版元だったTSRは複数のファンサイトにスキャンした製品の表紙を勝手に使っているなどの理由で閉鎖を求め、ファンが作成したコンテンツも自社が運営するサーバのみで公開するよう求めるなど、インターネットでのファン活動に対して攻撃的な対応をしていましたぁ。

実際にルールブックの丸ごとアップロードなどはあったけど、このあまりに強硬な態度はファンの間に「ネットでD&Dの話をするのは……」のような感情を生むことになりましたぁ。なお、このファン活動のポリシーは1997年に改訂されたですぅ。 そして1997年に多額の負債を抱えていたTSRはトレーディングカードゲームのマジック:ザ・ギャザリングをヒットさせて飛ぶ鳥を落とす勢いだったウィザーズ・オブ・ザ・コースト(WotC)に買収され、AD&Dの第3版に当たるD&D第3版(3e)の開発が始まることになりますぅ。

なお、WotCも1999年にハズブロの傘下に入ることになったですぅ。

D&D第3版前夜

D&D第3版の発売にあたり、WotCは「TRPGの価値はゲーム自体にあるのではなく、ゲームを遊んでいるコミュニティにこそある」、「多数の製品が市場に溢れると利益は細かく分割されてしまう」と考え、様々な戦略を練っていましたぁ。つまり、D&Dのユーザ数を増やし、占有時間を大きくすることがより大きな利益をもたらす市場の支配に繋がるという考えですぅ。

ここで取り入れられたのが、当時のコンピュータ業界で大旋風を巻き起こしていた、よりよいソフトを作るためにソースコード(ソフトの元になるファイル)を広く公開し、色々な人がそれを改変したり検証したりできるようにするオープンソースの概念ですぅ。

当時WotCの副社長だったライアン・ダンシーという人は、これにヒントを得てD&Dの中心になるルールを広く公開し、誰もがD&Dのシナリオやサプリメントを作り、配布したり売ったりすることができるようにすることを考ましたぁ。彼はOpen Gaming Foundationというサイトを設立し、WotCはその理念に沿う形でコンテンツの再利用を妨げないためのライセンス、Open Game Licence(OGL)を作ることになったですぅ。

また、これは製品展開が止まったり、会社が潰れたり、権利者がろくでなしでもD&Dの一番大事な部分はコミュニティに残され、訴訟などの心配なくゲームのともしびを継いでいけることを願った方舟でもあったですぅ。

なお、権利者そのものがライセンスを作成、管理するのはライセンスの恣意的な改変を止められないので、お飾りでもライセンス管理団体を置き、権利者はそこのライセンスを使う形が望ましいとされている余談をしておきますぅ。

これら一連の動きは、1990年代半ばにTSRが行なったサイト閉鎖要請やユーザ作成のリソースを独占しようとするサーバなどで生まれた、D&Dの話題やデータを扱うのが危険という空気を払拭するための意図もありそうというのが私の印象ですぅ。

D&D第3版の隆盛

そして2000年にD&D第3版は発売され、Open Game Licenseに準拠して再配布、再利用可能なD&Dのルールやデータを収録したSystems Reference Document(SRD)が配布されましたぁ。

果たして結果はといえば、D&Dの復活と門戸の開放は人々を大いに湧かせ、D&D互換のゲームばかりで市場から多様性が失われると批判されるまでのブームを巻き起こすことになったですぅ。

2003年にD&D第3版を改訂した第3.5版が出て、いつかルールが改訂されるD&Dのサードパーティであることのリスクが表面化したり、市場にD&D互換製品があふれた過当競争で少なくない脱落者が出たりもしながらもOGLの理念と実績は市場に浸透し、同じように再配布、再利用可能な形態で製品を発表するTRPG会社も増えることになりましたぁ。

こうした動きは誰もがインターネットという公開された場でファン活動やアマチュア出版をする土壌が整っていった2000年代の時代背景にも合い、OGLで開放されているSRDを使ったリファレンスサイトや、OGLでデータを配布するファンサイトなども多く生まれることになったですぅ。

そして2007年に完全新作のD&D第4版が近日発売とWotCが発表すると、それまでD&Dのサポート雑誌を発売していたPaizoは、D&D第3.5版に近いプレイ感覚のパスファインダーRPGの開発を発表することになりましたぁ。このパスファインダーRPGの発表は種族名やクラス名、ACやセーヴィング・スローなどの専門用語がOGLのもとで法的リスクが少なく利用できるからこその出来事で、D&D第3版が残した最大の遺産なのかもしれないですぅ。

半ば門戸を閉ざしたD&D第4版

2008年には完全な新版のD&D第4版が発売され、その数ヶ月後に新たなライセンス形態であるGame System License(GSL)が発表されましたぁ。

しかしこのGSLはこのライセンスでゲームを出したいならOGLでの製品展開を打ち切らなければならない条項がついたもので、GSLの下で公開された第4版のSRDは、ルールブックの中にあるユニークな用語が列挙された、それ単体ではゲームに使えない単語リストのようなものだったですぅ。

WotCのこうした動きは受け入れる企業もあれば、それならばとパスファインダーRPGやその他のD&Dの旧版をクローンしたルール(これもOGLで権利関係がゆるやかになったからこそ広く世に出回った)を新たな市場として求めた企業もありでサードパーティ市場は分裂しましたぁ。

その結果としてD&D第4版のサードパーティ市場はあまり振るわず、2014年、D&D第5版が登場することになりますぅ。

D&D第5版とOGLの復活

大胆に世界設定やルールを変えた第4版は否定する声も大きく、その声に配慮したのかD&D第5版は旧来のファンにも配慮する目配せをした復古調のバージョンとして世に問われましたぁ。

そして2016年にWotCはOGLの下で第5版のSRDを配布し、D&D第5版互換の製品がサードパーティからリリースされることになりますぅ。

また一方でWotCはDungeon Masters Guild(DMsG)というファンコンテンツの販売サイトを開設し、サイトの取り分とWotCの取り分で50%のライセンス料を支払えば、D&Dというブランド名や世界設定の固有名詞などを自由に使えるようにする施策も打ちましたぁ。

歴史は韻を踏む

2022年、WotCはD&D50周年の2024年に発売される新版、開発コードOne D&Dを発表してプレイテストを開始しましたぁ。

それと並行するように一部のニュースサイトは噂として、One D&Dはサードパーティ向けライセンスがOGLではないのではという報道を行ない、WotCはそれを否定したですぅ。

また、この頃WotCの親会社であるハズブロの社長が、D&Dの収益化はうまくいっていないなどの発言を行なっていますぅ。

そしてWotCは年末に近々新たなOGLであるOGL 1.1を発表すると公式声明を出しましたぁ。

しかしこれは、これまでルールシステムの電子ゲームへの転用などほぼ何にでも使えたOGLから大きく権利の幅を縮小し、権利料の徴収も視野に入れた“Open”とは名ばかりのライセンスになる予定だと明かされたことで、ユーザからは大きな不信感を持って迎えられることになるですぅ。

そして年が明けて2023年になると、ニュースサイトのGIZOMDEはリークと称してOGL 1.1の内容に従来バージョンの1.0を終了させるものが含まれていることなどを発表し、これまでのコンテンツも新しいより不自由なライセンスになるのか、ハズブロの思惑はこれかなど、ユーザサイドからの不信感に火がついてSNSで大規模な炎上が始まったですぅ。

これに合わせてPaizoは新たなライセンス形式であるOpen RPG Creative License(ORC)の準備を発表、これにはKobold PressやGreen Ronin PublishingなどこれまでD&D第5版でWotCのOEMをしていた会社も賛同し、大きなうねりになっていますぅ。

そしてWotCは1月14日に自分たちはゲームの善き管理人でありたい、今までのはあくまでもドラフトだったという声明を発表したものの、それじゃあロイヤリティを安くするからと調印を迫った事実はどうなるのかというようなリークが出て、事態は泥沼に……というのが現在のOGLを巡る状況ですぅ。

余話:リチャード・ストールマンとフリーソフトウェアとオープンソース

1980年代、MITのリチャード・ストールマンという人はソフトウェアは自由であるべきだとし、ソフトウェアを複製する自由、ソフトウェアを配布する自由、ソフトウェアを変更する自由、ソースコードを見る自由、そしてソフトウェアを有料で売る自由すら包含したフリー(自由)ソフトウェア運動を提唱しましたぁ。このフリーは金銭的無料ではなく、権利としての自由のことですぅ。

その結果、当時主流だったコンピュータ会社によるソースコード非開示のソフトウェアだけではなく、フリーソフトウェアでそれ並みの機能を持つツール群がこつこつと開発されていくことになるですぅ。

そして時は流れて1998年、マイクロソフトのInternet Explorerに押されたNetscapeはソースコードが開放された自由参加型のソフトウェア、オープンソースソフトウェアとして新たなブラウザのMozillaを提唱しましたぁ。

ただ、オープンソースはよりよいソフトウェアを作るという目的のための自由で、倫理的な自由ではないとリチャード・ストールマンさんは指摘しているですぅ。

これらの思想を見ていたのが当時WotCの副社長だったライアン・ダンシーさんで、こうした考えがOGLに輸入されることになるですぅ。