ネコぶんこ


2014年01月08日 [長年日記]

§ [Ludus] 可変モビルスーツの益体もないはなし

以前書いたモビルスーツと国家観を前提として『Ζガンダム』時代の可変モビルスーツを考えると、一年戦争で人類の総数が減って従来規模の戦争ができなくなったことに対応し、モビルスーツに戦闘機要素を組み込むなどして諸兵科連合ドクトリンが生き残りを模索したことで咲いた最期の徒花だと考えるのはどうかとか思いついたですぅ。

つまり諸兵科連合で戦争を考えるとMSには航空機の要素が足りず、だからといって支配領域全体で空港や航空機を維持するのは困難なので、MSを航空機にして従来の原則と現状を折衷した答えとして変形MSが開発され、実戦ではあんな感じだったので外野や後世から見たら時代の徒花だったねと振り返られるような技術史ですぅ。

これを前提にするとティターンズ、つまり連邦軍が可変モビルスーツを色々と開発していたのも、一年戦争以前と同じように領域の維持を第一の戦略にしていたと推測できますぅ。対してエゥーゴは連邦やティターンズが決めたルールに乗らず、敵の大きな拠点に一撃を与え、これを使ったプロパガンダで闘争する戦争をルールとして採用し、相手が新しいルールに適応する前に逃げ切ったという見方ができるですぅ。

してみるとシロッコがティターンズで厚遇されていたのも、木星航路での海賊撃退などもやっていただろうし非正規戦のノウハウを買われて戦略の見直しや指導を行なうための人事と考えることもできるけど、それとは別にシロッコ本人がMS時代の戦争を考えた結果、エゥーゴと同じようなデモンストレーション戦争に行き着き、ジュピトリス製MS群を答えとして弾き出したとしたら皮肉な話ですぅ。