2014年04月13日 [長年日記]
§ [DnD] 『1980年代のダンジョンズ&ドラゴンズ狂想曲(The great 1980s Dungeons & Dragons panic)』
In an era of potent concern over internet pornography, cyber-bullying, and drugs, it is hard to imagine a game being controversial. But 30 years ago Dungeons & Dragons was the subject of a full-on moral panic, writes Peter Ray Allison.
インターネット上のポルノグラフィ、ネットいじめ、そしてドラッグが有力な問題とされている時代に、ゲームが議論の的だったことを想像するのは難しい。しかし、30年前の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は道徳的混乱の議論で矢面に立たされていたと、この記事でピーター・レイ・アリソンは主張しよう。
1982年の『ET』は冒頭で、十代の少年たちがサイコロや呪文のある、かなり『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のように見えるロールプレイング・ゲームをやっていた。彼らはピザの出前を待ちながら気ままに冗談を言い合っていた。
この無邪気な描写はこれから訪れるより偏った報道とはかけ離れたものだった。
1974年にさかのぼってみれば、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D)はおそらく最初のロールプレイング・ゲームだった。プレイヤーはさまざまな種族と職業からなる冒険者を演じる。それぞれのゲームには審判と語り部を兼ねた役割のダンジョン・マスターがいる。2004年までに、このゲームをプレイしたのは2000万人以上だと見積もられている。
今日、このゲームを若いころからやっていたベテランのプレイヤーは誰もがそのよい性質を語るだろう。それは多くの局面で想像力を働かせる。それは社交的だ。それは画面を使わない。
しかし、1980年代にこのゲームは若者の心に影響を与えることを恐れた原理主義的宗教団体から、何度も痛烈な批判を受けていた。
1979年、16歳の天才児ジェームス・ダラス・エグバート三世がミシガン州立大学の自室から失踪した。私立探偵のウィリアム・ディアはジェームスの両親から彼らの息子を見つけるために雇われた。ロールプレイング・ゲームに関する知識をほとんど何も持っていないにもかかわらず、ディアはD&Dがエグバート失踪の原因だと信じ込んだ。
実際は、エグバートにはうつ病や薬物嗜癖などの症状があったため、自傷行為の症状が発現している間――大学の地下にある共同溝へ――身を隠していた。よく知られた――蒸気溝事件と呼ばれる――物語は、小説『Mazes and Monsters』や1982年のトム・ハンクスによる同名映画(訳註:『トム・ハンクスの大迷宮』)など、いくつかの創作作品の呼び水となった。
エグバートは1980年に自分を撃った銃創がもとになって死去した。彼の精神状態の問題を示す証拠があるにもかかわらず、一部の活動家はエグバートの自殺はD&Dに原因があると信じていた。
1982年、高校生のアーヴィング・リー・プリングは自分の胸を撃って自殺した。当初は『ワシントン・ポスト』に「(プリングは)“調和する”ことについて苦労していた」とコメントしていたもかかわらず、母親のパトリシア・プリングは息子の自殺が彼のプレイしていたD&Dに原因があると信じるようになった。
繰り返すが、プレイよりも複雑な精神的要因があったのは明確だ。アーヴィング・プリングのクラスメイト、ヴィクトリア・ロッキーチャーリーは「彼はいずれにせよゲームと関係ない多くの問題を抱えていた」とコメントしている。
パトリシア・プリングは最初、息子が通っていた高校の校長を告訴しようとして、ゲーム中に息子のキャラクターが受けた悪口は本当のものだったと校長に主張した。彼女はまたD&Dの出版元であるTSR社も告訴した。これらの訴訟は裁判所から棄却されたが、プリングは1983年にダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ被害者の会(BADD)を組織して彼女の運動を継続した。
プリングはD&Dを「ファンタジー・ロールプレイング・ゲームは悪魔学、ウィッチクラフト、ヴードゥ、殺人、強姦、涜神、自殺、暗殺、狂気、性的倒錯、同性愛、売春、悪魔崇拝儀式、賭博、蛮性、人肉嗜好、嗜虐嗜好、冒涜、悪魔召喚、死霊術、占いなどの教材として使われている」と主張した。
プリングとBADDは集中的なメディアでのキャンペーンを保守的なキリスト教徒に行なうとともに、主流メディアでも時事問題を扱う番組『60 Minutes』にD&Dの製作者であるゲイリー・ガイギャックスの対立陣営として出演した。
1985年、レイクビュー・フルゴスペル・フェローシップのジョン・キグリーは多くの敵に向けて以下の発言をした。「ゲームは若者に悪魔の影響を受けたり憑依させたりするオカルト的な道具である」
これらの恐れは英国にもその行き場所を見つけた。ファンタジー小説家のK・T・デイヴィスは「教区牧師がゲーム用のフィギュアを取り出し――“神々”がゲームの中にいるので、彼はD&Dを悪魔崇拝に例えた」ことを回想している。
ベテランのロールプレイヤーであるアンディ・スミスはロールプレイヤーとキリスト教徒のどちらでもある奇妙な立場に自らを見い出した。「キリスト教団体のために働いているとき、他の職員数名が不快感を示し、また悪魔崇拝への言及が含まれているために、私は自分のロールプレイング関係の書籍を寮から廃棄するように求められた」
今になって振り返れば、これはロールプレイング界の少し秘境趣味的な要素が混乱する部外者の想像力を喚起させたもので、古典的な道徳的混乱の拡大だ。
「ファンタジーは一般的に魔法やウィッチクラフトのような行為を特徴とするため、D&Dは聖書の指針と真っ向から対立するもので、ウィッチクラフトや魔法が元になって生まれたものだと認識された」とオーストラリア連合大学で歴史と人類学の講師をし、『ロールプレイング・ゲームとキリスト教右派:道徳的混乱に反応するコミュニティの構造(Roleplaying Games and the Christian Right: Community Formation in Response to a Moral Panic)』の著者であるデイヴィッド・ウォルドロン博士は言う。「思春期はファンタジーと現実の区別がつかないという見方をされることもある」
当時はD&Dの性質についてのさらにとっぴな主張が福音主義団体から出てくる傾向にあり、彼らはより大きな疑いを投げかけてきた。
「ミームはこのキャンペーンによって増殖し、初期にほとんど批判がない中で発表されたものから、広範囲に渡るおかしな主張が導き出された」そうウォルドロンは言う。「たとえば、君のキャラクターの死がまた自殺の引き金になるような」
ロールプレイング・ゲームに対して行なわれる主張は無視できるものではなくなった。
著述家のマイケル・スタックポールはパトリシア・プリングとBADDの批判に真っ向から反論した。1990年、スタックポールは『プリング・レポート(The Pulling Report)』を出版し、そこではBADDには多くの間違いがあること、プリングのゲーム専門家としての見識が疑われるべきゆがんだものであると論難していた。
米国自殺学会の調査によれば、アメリカ疾病予防管理センター、カナダ保健福祉省はD&Dと自殺の間にある因果関係をまったく明らかにできなかった。
少なくとも米国では、D&Dについての議論が続いている。2010年、連邦高等裁判所第7巡回区はウォーパン矯正施設でのD&D禁止を支持した。施設のギャング専門家、ムラスキー氏は、D&Dは「収容者の強迫観念を促進し、実生活、矯正環境から逃避させ、敵意を育て、暴力と逃避行動をとらせる」効果があると証言した。
しかし、一般的な認識は変化した。今日の人々にロールプレイングに対するネガティヴな見方があるなら、プレイヤーの正気に対する恐怖よりもむしろ、オタク的雰囲気が想像されることだろう。1980年代にD&Dをプレイしていた学生たちは、きちんとした経歴で現在まで成長している。
「ロールプレイング・ゲームへの認識は時間とともに変わってきた」とはスミスの言だ。「大きな理由は『街は罪のない人々の血であふれ、悪魔のとりついたロールプレイヤーが国を滅ぼす』なんてことは決して実現しなかったためだ」
BBCのNews Magazineに掲載された80年代の反DnD運動に関する記事だけど、簡潔にして現状にも言及した内容が概要の説明としてよくできていたですぅ。
本文中にある『Roleplaying Games and the Christian Right: Community Formation in Response to a Moral Panic』と『The Pulling Report』はウェブで読むことができるですぅ。